本書は謹呈本である。以下の事情による。
著者は大分県日田市のご出身で、同市とその近辺のボランティア住民が運営する市民大学「自由の森大学」の学長でいらっしゃる。私も同じ出身なので、一応この市民大学の顧問弁護士ということになっている(但しボランティアなので無給)。著者とは1、2度、会の打ち上げ等で同席させていただいた記憶があるが、双方酔っ払っていて、著者ご自身は私のことは覚えておられない筈である。この「自由の森大学」が平成18年3月をもって、12年の歴史を閉じることとなった。それに併せてという訳でもないのだろうが、最近出版された本書が関係者に謹呈されたという次第である。
この本では、著者が出会った様々な人物について、公私両面での交流を通じて浮かび上がった姿を描くものである。ただ、資料や関係者の取材を重ねて書き上げた人物伝という程の濃密なものではなく、著者の印象記ないしスケッチといった趣があるが、行間の向こうに垣間見える思い入れの深さは感じられる。それは時に重く時に軽やかである。
全くの偶然だけれど、本書評欄で最近採り上げた人物との交友について触れられており(本田靖春氏・丸山眞男氏)、生の交友があった方の声という意味で大変興味深かった。
私自身は、後藤田正晴という政治家について、佐々敦行氏描くところの上司である警視総監当時の姿を読んで以来大変興味があったのだが、この方を著者が「護民官・牧民官」と捉える捉え方には、なるほどそういう方だったのかと少し納得した(少しというのは後藤田氏の全貌を良く知らないからだが、評伝があれば読んでみたいとは思っている)。
また著者の描く人々の人選をみると、文化への比重の置き方がわかって面白い。政治問題・社会問題を扱うのみがジャーナリストの本道であるかの如き思い込みが偏見であることが良くわかる。それを更に進めていうと、人を語ることにより自分を語っているのだということもこの本では良くわかる。
大学入学時の私の志望は法律家かジャーナリストのどちらかだったのだけれど、「隣の芝生は緑に見える」の諺どおり、これだけ色んな人物に会えたり事件の取材が出来たのならやっぱりジャーナリストになっておけば良かったかな等とこの本を読んで思う(因みに福岡県弁護士会には新聞記者から弁護士へ転身した人もおられるが)。もちろん著者と同じレベルでの活躍が出来た筈はないし、ジャーナリストはジャーナリストなりの苦労がおありだったのだろうから、その苦労に私が耐えられたかは全く予測できない。
ただ突然話が飛ぶが、もし人生がやり直せたら生まれ変わることが出来るならと考えるとき、私は能力が許せばジャーナリストよりはやはり科学者になりたいと思う。この世界の成り立ちを極めてみたい、全く蛇足だが。