大学生活の後悔は山程ある。そして、そのうちの一つが落研(ご存知の通り落語研究会の略−オチケンと読む)に入らなかったことである。私はラジオで落語を聞いて育ち落語が大変好きなのだけれど(特に中学・高校時代に聞いた深夜放送では落語家のDJが人気があった)、九州の田舎っぺというコンプレックスが強すぎて、とても落研の門を叩く勇気はなかった。落語といえば上方落語か東京落語しかないからで、関西弁はもちろん江戸っ子のベランメェはどう逆立ちしても話せるとは思えなかった(そういえば何故、東京落語と言って江戸落語と言わないのかしら)。
そして、元々が私は口下手ということがある(その辺のことは左側の弁護士甲能は「どんな人間か」の項を読んで下さい)。それを克服するためにこそ落研に入るという選択肢もありだったのかも知れないが、当時どんなに練習しても立て板に水の様な話し方が出来るとは思えなかったし(私は幼児期に吃音癖−要するにドモリだった)、逆にオットリ話しながらも味があるなんて芸当も出来ると思えなかった。ただ、どうせ学生の趣味でやるんだから自分が話を楽しんで聞き手がそこそこ笑ってくれれば良いと鷹揚にかまえても良かったのだろうと今にして思う。
しかし、趣味でなく本気で芸人に生きようとする人々は大変だった筈である。特に親子で噺家であれば、尚更うまくて当然と思われるのだから辛いだろう。況して、父親が名人だの天才だのと言われれば、その息子達は跡を継ぐのを躊躇うのではないか。
この本の著者は、名人・天才と言われた志ん生師匠の娘にして馬生師匠・志ん朝師匠の姉である。そこらのことを赤裸々に語ってくれるのかと思ったら、必ずしも深刻ではなくどちらかと言えばアッケラカンとした雰囲気で、銘々が家族思いの一家の楽しい姿が語られその方が寧ろ心に残る。特に志ん生夫人の無私無欲で家族に尽くす姿は、当時の日本人女性には珍しくはなかったのかも知れないが、感動的である。
ただ、私の場合、実は志ん生師匠の噺は聞いた記憶が全くなく、兄である馬生師匠の噺は聞いたが何か上手いけど地味だなぁという感想、弟の志ん朝師匠の噺は上手いし華があるという印象、だったのだが、志ん生師匠が長女である著者にこっそり「志ん生の名前は志ん朝に継がせる」と語ったという下りが出て来る。やはり芸の道は兄か弟かでは決まらない。その意味でシビアだなぁと思ってしまった。
題名は忘れたが、確か桂春団治をモデルにした歌で「芸のぉタァメなぁらニョオボも泣かすぅ〜」というド演歌があって、そこで「ワシは日本一の噺家になるんや、酒や酒や、酒もってこぉい」「あんた、飲みなはれ、好きなだけ飲みなはれ」という男の歌い手と女の歌い手の掛け合いのセリフが入るのがある。しかし何かこの歌と掛け合いを聴いているとこの噺家夫婦は日本一に絶対なれないだろうと確信してしまう奇妙な響きを私はいつも感じてしまうのだが、この本の方は、あぁこの夫婦一家は日本一になるべくしてなったのだろうなぁと妙に得心してしまった。ただ、考えてみれば、それは結果が先に頭にあるからかも知れない。
いずれにしても大変読みやすいし、当時の東京の風物もわかって、それも楽しい。