11月16日、最高裁は、裁判員裁判は憲法に違反しないという大法廷の判断を示した。
判決は、憲法に明文で一般人の参加を認めた規定がない状況で、裁判官でない一般国民が裁判に参加することは、裁判官による裁判を受ける権利や裁判の諸原則を害する等とする被告人の主張を、15名の裁判官全員一致で退けた。
論点は多岐にわたり、憲法制定過程の歴史的経過や裁判所法の規定などが引かれているが、最高裁の基本的立場は、国民主権原則のもと国民の司法参加は憲法の許容するところであるという理由に尽きる、と思われる。国家権力の統治作用は、立法作用という法律を作る作用、司法作用という法を適用する作用、行政作用という国家統治から上記の立法作用・司法作用を除いた作用に三分されるが、そのいずれもが国民を主権者としてその国民の参加と付託に基づいて行使されなければならないというのが国民主権原理である。この原則からすると、国民の司法参加は当然認められなければならないとされた訳である。細かい条文解釈の議論もあるが、大枠は上記の通りと言って良い。
大筋、妥当な憲法論と言って良いだろうが、私自身は、なお思想良心の自由を制限しないかという論点で今ひとつ判決理由が明確でないように思われた。「人が人を裁く」というのは、その人の人生観に関わる重要な事項である。その点について、「私は人は裁けない」という人がいても良い筈であり、その様な信条を理由に辞退を認めていない今の裁判員法は、その面からの憲法的手当てを欠いている気がする。ただ、これを理由に裁判員の辞退を認めると、実際問題、裁判員の成り手がなくなる危険は大きく、裁判員制度が崩壊する危険はあるだろう。「死刑判決の責任は負いたくない」という心情は、「人が人を裁く関係には参加したくない」という信条と裏腹だからである。