大阪地裁は、3月30日、元特捜部長らを犯人隠避罪で有罪とし、懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決を言い渡した(朝日夕刊)。これは、大阪地検特捜部の検事が証拠のフロッピーディスクを改竄して証拠隠滅罪を犯した事件で、当時の特捜部長と副部長が犯人の検事の犯行を隠蔽しようとして犯人隠避罪に問われたもの。
証拠隠滅を犯した検事は有罪判決を受け、既に服役しているが、この30日の判決は、その検事の犯行を隠蔽しようとした上司の責任が問われた関連事件である。判決は、本件犯行を「組織防衛を過度に重視する病弊ともいうべき体質が事件を生んだ」と述べているという。
正義を体現すべき検事が証拠を偽造・隠滅しようとした発端の事件自体も大いに問題だが、それを隠蔽しようとした上司の犯罪も、事実とすれば検事としては許し難いものである。尤も元特捜部長らは最初から犯行を否認し、直ちに控訴したそうであるから、事件の決着は上級審に持ち越される。
被告人の一人である元特捜部長の手記を読み、メディア評でも取り上げたが、正直なところ手記自体から無罪を確信したということはできない。他の検察側の証人の証言も聞いてみないと何ともいえないのは当然だが、ことの性質上「やったこと」の証明と「やってないこと」の証明は当然後者の方が難しいから、その意味でも手記がイマイチだったのは止むを得ないだろう。ただ、刑事裁判の原則は「推定無罪」だから、「やってない」という立場から出発して、検察側が「やったこと」を立証しなければならない。本件の裁判官は、検察側が「やったこと」の立証に成功したという判断だということになる。
判決では、検察の体質にまで踏み込んだ判断をしたようだが、そこまでの材料がこの裁判で顕出されたのかは新聞報道だけではわからない。いずれにしても、検察改革が現在進められているが、その発端となった裁判に一区切りが付いた訳で、これを機に一層の賢察改革が進むことが望まれる。