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2005.09.07(水)

お父さんのバックドロップ

中島らも

この短編集を読みすすむと、どうもそれぞれ結構が甘くて結末が読めるし、使われているギャグや筋立てに特に目新しいものもなくて、そのうち「あの中島らもさんともあろう方が、どうしたのだろう」と思い出す。「あの中島らもさん」とは、「明るい悩み相談室」という、朝日新聞社にしては珍しく卓抜な、そしてある種の屈折を滲ませるユーモアに溢れる本を、ものした「あの中島らもさん」である。

ところが本編を読み終え後書きに至って、びっくりした。

子供向けなのである。

大体私は、小説を読み始めるときは前書きから順番に読んで、当然後書きはそこに至るまで読まない。社会科学系の本などを読む場合は著者プロフィール・前書き・後書き・目次を斜め読みして本の構成と内容を予測して本編を読み始めるのだが、小説では興が殺がれるから当然そんなことはしない。だから、この本も漠然と中島らもさんの本だから何故か成人向けの内容だと思い込んで読み始め、題名の「お父さんのバックドロップ」も中島さん一流のヒネリによるものと考えて成人向けだと信じて疑わなかった。成人向けと思い込んでいたから、読み進むにつれ、あの中島らもさんともあろう方が、という感想になったのである。

ところが子供向けだと思って内容を振り返ると、俄然、趣が違ってくるのだ。

何歳くらいを対象にしたのかははっきりしないが(多分、小学校高学年から中学生あたりか)、ふつう子供向けだったら例えば次のような会話を登場人物に交わさせるだろうか(設定も異色だが)。

「お父さんのバックドロップ」の一場面で、みどり色の霧を相手に吹きかけたりしてウケを狙う悪役プロレスラーの父と勉強好きの息子との会話である(昔アメリカと日本で「グレートカブキ」というリングネームで悪役を張ってた日本人プロレスラーがこの霧吹きをやってた。それが多分モデル)。

「どうだ。これでもおれのことを尊敬できないか。」

「できない。」

「なに?」

「だって、お父さんは、オリンピックにまで出たアマチュアレスリングの選手だったんでしょ?」

「そうだ。」

「じゃ、どうしてそのスポーツの世界で、コーチになるなりして、つづけなかったの?」

「それは…」

「かわりにいってあげようか。ほんとうのスポーツの世界には、ほんとの勝ち負けがあるからなんだ。」

「………」

「お父さんは、そのほんとうの勝ち負けのある世界に、ずっといるのがこわかったんだ。だから、みどり色の霧をふいていれば、どっちが強いかよくわからない世界へにげたんだ。だから、尊敬できない。」

「カズオ…」

成人向けだったら、登場人物がこの程度のシビアな会話を交わしても特に違和感はない。ところが子供向けとなると、こんな会話は珍しいのではないか。しかし、この会話は重要で、大人になり始めた少年の世界の捉え方、その捉え方の中で捉え直される父親像、といったものを読者の少年に考えさせることになるのだ。これは結構が甘いなんざ百も承知で(多分敢えて甘くして)、別のことを成長期の少年に語りかける小説なのである。一方で子供向けのギャグを散りばめながら。ここに至って、やはりさすがは「あの中島らもさん」と私は思ってしまった(実は後書きもシャレで本当は成人向けではないかとも思ったが、文庫になる前の単行本は学習研究社から出版されているので、児童書であるのは多分まちがいない)。

表題作のほか、「お父さんのカッパ落語」「お父さんのペット戦争」「お父さんのロックンロール」の4編が納められている。いずれも、中島らもさんらしく少し癖がある感じもするので、人によっては好みではないかも知れない。

中島らもさんは最近お亡くなりになった。中島らもさんがアル中から立ち直ったドキュメンタリーをNHKで観たことがあったが、残念である。

ご冥福を祈る意味も込めて、推薦する。


中島らも<br />集英社文庫
集英社文庫
400円+税