ビッグバン宇宙論は、既に常識化していると言っても良い。すなわち宇宙は百数十億年前に突如として大爆発(ビッグバン)により発生し、爆発のその後の過程で元素ができ、数多の銀河ができ、恒星ができ、太陽系ができ、衛星の一つである我が地球には生命が誕生した、という訳である。
人類がその様な認識に至るまでを太古の宇宙観やギリシャ哲学者の宇宙観から説き起こし、天動説・地動説、相対性理論、様々な観測手段の発展に伴う宇宙認識の発展を、歴史の流れに沿って解説した本である。殆ど数式を使わないで素人にも大変わかりやすく書かれてあり、とても面白い。
本書で特に面白かったのは、科学者(天文学者と物理学者)の性格ないし人格が簡潔かつ適切に素描されている点である。学説史というより学者史とも言えるかも知れない。そして、その人物素描がそれぞれ気が利いていて大変楽しめる。そして私は、科学者とは極めて理性的・合理的に物事を考え、学説に対しても論理と実証で考える結果、新たな学説にも公平に対処するのだろうと漠然と考えていたのだが、本書に登場する科学者達を見ると、必ずしもそうではなく極めて感情的な対応をとるのが多く見られる。例えば、ガリレオの地動説の支持者が増えて行った過程を叙述する文中に「二十世紀最大の物理学者の一人であるマックス・プランはこう述べた。」としてマックスの言葉が引用してある。すなわち
「重要な科学上の革新が、対立する陣営の意見を変えさせることで徐々に達成されるのは稀である。サウロがパウロになるようなことがそうそうあるわけではないのだ。現実に起こることは、対立する人々がしだいに死に絶え、成長しつつある次の世代が初めから新しい考え方に習熟することである」
つまり論理と実証という合理精神が学説史を塗り替える例は稀だというのである。
感情的という点でもっと凄い例は、ケンブリッジ大学のマーティン・ライルという科学者が、人前で恥をかかされた復讐のために、ビッグバン宇宙論の反対者である大御所のF・ホイルを騙して記者会見に立ち合わせ、その場でホイルの自説−定常宇宙論に矛盾する観測結果を突然突きつけホイルを立ち往生させるなんてことまでやる。読み物として読んでいる分には面白いが、科学者がそこまでやるかよという感じがしてしまう。
読み終わって思ったのは、理論の発展に応じて精緻な観測が求められれば求められる程、観測機器が高度化し、それがすなわち機器の高額化をもたらし、結局金がないと研究が進まないという現状になって来ていることである(例えばスペースシャトルを見よ)。日本の文教予算の低さが言われるが、大丈夫なのだろうか。