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2006.10.20(金)

ららら科學の子

矢作俊彦

全共闘世代への鎮魂歌と言えば、誤読だとして作者やファンから叱られるだろうか。しかし、私にはどうしてもそう読めてしまうのだ。

70年安保闘争の最中、学生運動をやっていた「彼」が、殺人未遂の罪で指名手配され、文化大革命荒れ狂う中国へ密入国し、そこでの「下放」政策で、当時は電気も通っていない僻地へ送られる。その僻地に篭ったままで過ごした30年を経て、「蛇頭」の密入国ビジネスを利用して日本へ帰国する。中国人に殆ど完全に同化し且つ中国自体の変化にも僻地の故に大きく取り残され、その意識を持ったままの現代日本への帰国であるため、当然のことながら「彼」は今浦島の様相を呈する。そこで、ノスタルジックに語られる30年前の日本と現代日本との落差。30年前に持った学生運動の理想が或いは当時の日本人の理想がと言っても良いが、それらがどう日本で現実化されたのか、されなかったのか。様々な自問自答が繰り返される。

それはそれで現代日本を炙り出す視線として意味はあるだろうが、その様な一昔前の社会派小説的な読み方は、余り的確ではない様な気がする。寧ろエンターテイメントとして読んでも作者はお怒りにはならないと思う。というのは、登場人物が主役、準主役、脇役、それぞれ表通りを歩いている訳ではなく、一癖も二癖もあって陰翳に富む人物に造形されていて、彼らの行動・言動を読んで行くだけで何か惹き付けられてしまうからである。

主役の「彼」は学生運動をやっていたとはいえ理想家肌の「歩く概念」的な青年ではなく醒めた目線を端から持っている一方、年の離れた小学生の妹を置き去りにしたことが片時も頭を離れない。一緒に中国に行く筈だった親友の「志垣」は今や怪しげなブローカーもどきで巨万の富を得ているらしい。「志垣」の部下で出自からして複雑な「傑(ジェイ)」という中国系アメリカ人。渋谷で出会った朝からビールを飲んでいる少女。そして中国で「下放」され一緒に生活した義父(早稲田大学留学経験を持つ)。その娘(後に「彼」の妻となる)。その他、ホンの端役的な登場人物も息遣いが聞こえてきそうな造形がなされている。

ストーリー自体は特に波乱万丈という訳ではなく、派手なアクションや強烈などんでん返しもなく、事件は幾つかあるにしてもどちらかと言えば淡々と進む。寧ろ「彼」の「思い或いは想い」についての語りが主軸ということが出来る。そして、それは少なくとも私自身の年代−多分1950年代生まれの人間にはフォロー出来るだろう。「彼」は東京人だが、東京人ではなくても時代の空気は同じだった。

本書を読んでいるうちに、丸谷才一氏の「笹まくら」という長編を思い出した。第二次大戦中に反戦思想の故に徴兵忌避の行動に出て日本中を逃走する主人公の、戦争中の生活と戦後の生活を交互に描きながら、若いときの行動が後に苦い軌跡を描くという物語である。

しかし、本書のラストは寧ろ積極的であり、イデオロギー的な命名をすれば、ある種アナーキズムへの決意ないし積極的なニヒリズムと評することも出来るかも知れない。しかし、そんな命名などどうでも良いことで、彼が再び歩き出したというところに意味があるのだろう。鎮魂歌と私が感じる所以である。

ちなみに、主人公の心を大きく占めるのが「妹」である。これは本書評欄で以前に取り上げた「アトムと寅さん」の中で四方田犬彦氏が指摘されていた日本映画での「妹偏愛」と言った傾向に沿っているのだろうか。或いは、本書はフラリと旅に出て妹に心配かけながらヒョッコリ帰って来る「フーテンの寅」のパロディも意識されているのだろうか(文中にもあるが書名が鉄腕アトムの主題歌から来ているのは当然)。或いはサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンの妹への溺愛にも影響されているのだろうか。そんな方向に色々考えるのも楽しい本だった。


矢作俊彦<br />文春文庫
文春文庫
667円+税