なんで「言語学」なんて本を読むのかと言われても答えにくい。面白そうだからという答えしかないのだが、蓼食う虫も何とやらで人が興味をそそられる分野は人それぞれである。だから、本書が面白かったと私が感想を述べても、じゃ読んでみようかと思う人はそう多くはないだろうし、今回はやや私の趣味に偏りすぎている気がするので、お薦めとまでは言わない。ただ目からウロコの箇所が多々あって大変面白かったという感想だけは述べておこう。
著者はテレビの語学番組にも出ておられたそうであるが、残念ながら本書には著者近影という奴が付いていないので、テレビで見た顔だなぁという感想は持てない。ただテレビに出ていたからという訳ではなかろうが、読者へのサービス精神は旺盛で、平易な語り口でジョークも交えながら大変わかりやすく「言語学」の講義を展開する。明治大学での講義もきっと面白いものに違いない。
内容は、著者によると言語学の入り口から中を覗いた程度だそうである。それでも中々含蓄が深い。「言語学」を「語源学」とか「文法学」等と混同することを諭しながら、「言語学」の輪郭を示し、内容を概観する。
言語とは記号の体系であるとし、形と意味からなる言語記号の恣意性を説明するのに、「七色の虹」の例を挙げる。言語学入門の定番だそうである。言語毎に指し示すものが微妙にずれているのが普通であり意味の分け方に恣意性があることの例なのだが、日本人は虹と言えば七色と信じており赤橙黄緑青藍紫などと表現するが、実は言語ごとに違うのだそうである。英語では虹は6色(red,orange,yellow,green,blue,purple,尤もindigoを加えて7色とする英語の辞典もあるとのこと)、ショナ語というアフリカの言葉では3色(青っぽい色が一つ、緑から黄色にかけての色が一つ、赤と紫は同じ)、同じアフリカのバサ語では2色(紫・青・緑がまとめて一つ、黄色・橙・赤がまとめて一つ)となる。ところ変われば、だから当たり前ではないかと言われるとそれまでだが、ここまで違うのも面白い。
最後に著者が力説とまでは行かないにしても著者の姿勢を示すとは言っても良いだろうが、言語学では全ての言語は平等である、と仰っている。特定の言語が「美しい言語」「汚い言語」だったりすることはない、同じく「正しい言葉」もないとのことである。第二次大戦直後、日本軍国主義の蛮行を反省した志賀直哉(たしか「日本語の神様」と呼ばれていたと思う)が、世界で一番美しく文明的な言葉であるフランス語を日本の公用語にしようと主張した、という嘘の様な本当の話を思い出した。
ちなみに、言語に優劣はないという説明の中で、当然といえば当然の内容なのだが、著者の人となりを示して大変親しみを感じた箇所があるので、最後にそこを引用して本書の紹介を終わる。
「自分が苦労もせずに手に入れたもの、たとえば性別、人種、出身地、家柄、それに母語といったもので威張るのは卑怯である。その反対に、努力して身につけたもの、たとえば学歴、職業などと並んで外国語を自慢するのは嫌味である。」