仕事着としては、いつもスーツにネクタイである。夏場も変わらない。昨年くらいから言われ出した流行の「クールビズ」でノーネクタイのスタイルはどんなに暑くてもやらない。「クールビズ」を唱導し出した中央の政治家連中が大嫌いだからである。だからウィークデイは常時ネクタイを締めている。
ネクタイを選ぶセンスに自信はないが、それでもネクタイだけは自分で選ばないと気が済まない。プレゼントされたネクタイは、いつも何故かどうしても気に入らず、お義理で自分の首を締め付けるのも嫌だから、結局洋服ダンスの中で埃を被る。
ネクタイを選ぶときには我ながら時間をかける。趣味の良い柄を積極的に選ぶというより、どちらかと言えば消去法で選ぶ。派手すぎないか、逆に地味すぎないか、安っぽく見えないか、逆に高価そう過ぎないか、アヴァンギャルド過ぎないか、若すぎないか、オジン臭すぎないか、等々。結局、顔の真下に来るので、顧客に与える印象を考えてしまうのである。で、その様な消去法をくぐり抜けて且つ自分で気に入るもの。つまり、こういう柄なら顧客の印象は良いだろうから気に入らなくても選ぶということはない。その程度の自分の趣味へのこだわりはある。
スーツはネクタイ程にはこだわらない。夏物冬物何着かダークスーツを備えておけば無難と考えている程度である。私の体型が、どんなスーツを着ても伝統的日本民族男子であることが現れざるを得ず、スマート、ファッショナブルということには到底ならないからである。
この本を読むと、確かに男のネクタイへのこだわりがわかる。なぜチャーチルは蝶ネクタイを好んだのか。なぜダリはネクタイを描いたのか。なぜケネディはスリムなものを選んだのか。言わば楽しい雑学である。
オスカー・ワイルドの「ネクタイを上手に結ぶことは、人生における重要な第一歩である。」という有名な言葉が引いてあるが、私の場合、いわゆるプレーンノットという普通の結び方しかしないにしても、これがルーチンとして苦も無く出来るようになるまで相当時間がかかったし、今でも前と後ろの長さの按配が悪くて結び直すことが時たまあって、未だ重要な一歩を踏み出せていないのかなと思ったりする。
これを読めばお洒落なネクタイが選べるというファッションのハウツーではなく、ネクタイと男の関係に対する楽しくそして中々含蓄の深いエッセイである。