著者には失礼だが実は私は本書を読むまで著者を存じ上げなくて(著者は知る人ぞ知る映像作家でいらっしゃるそうで、多分どこかでお名前は目にしていたのだろうけれど)、本書を手に取ったのは書店で見かけただけの全くの偶然だったのだが、これは目からウロコの本であった。読んでビックリした。
本書には著者の生年は紹介されていないが、ウィキペディアで調べると1956年とあるので、予想どおり1954年生まれの私と殆ど同世代である。だから、本書で語られる「放送禁止歌」で名前の挙がっている歌とその顛末は私には同時代的に理解できる。
私は、放送禁止歌というのは当局だか民間ないしNHKの上部団体だかが何らかの法的権限を持って放送禁止とのお達しを出して、已む無く放送局の現場が従っているのだと漠然と信じていた。
ところが、ところが、本当にところが、違うのである。「放送禁止歌」という呼称も誤解を与える表現で、実は民放連が「要注意歌謡曲一覧表」というガイドラインを示しているだけだったのだそうである(そして、その一覧表は今はない)。従って、国や民放連が圧政的に権限を行使して「禁止」していたのではなく、放送局の現場が放送を自粛して行き、それが定着して行った結果「あれは『放送禁止歌』だ」という風評が出来上がった、ということらしい。
更に、私の世代には懐かしい「赤い鳥」というフォークグループの「竹田の子守歌」も放送禁止歌になり、それは部落差別を助長しかねない歌詞だからだ、というのだが、実は私はこれが放送禁止歌とされていたことも部落差別の問題に関わっていたことも本書を読むまで知らなかった。フォークソングのヒット曲というだけの認識しかなかったし更に暢気にも「竹田」は私の出身県の大分県にある「竹田市」だと思い込んでいた。ところが、これも違って実は京都市の地区名だという。更に「赤い鳥」が歌ったのは、その地方に伝わる原曲ではないという。詳細は本書を読んで欲しいのだが、本当にビックリしてしまった。
本書はこの様な題材を取り上げながら、メディアの事なかれ主義というか臭いものには蓋主義というか、その姿勢を厳しく批判し且つ反す刀で自らをも断罪する。その真摯な姿勢に大変に好感・共感を感じる。著者の映像や本を今後もトレイスして行こうと思う。