批評の世界で健筆を振るっておられるお二人が、戦後日本のサブカルチャーの双璧(アトムと寅さん)について語り合い論じ合った対談である。
私は手塚治虫先生を神と崇めていたし、寅さんシリーズは邦画にしては比較的よく観た方だと思う(それでもシリーズ48作と言われている中で10本前後じゃないかと思うが)。さすがにお二人の視点は鋭い。私自身は手塚先生を殆ど無批判に受け入れているが、しかし、お二人は例えば
「四方田 …僕は彼がアフリカ人を差別的に描いたという批判は、マンガという表象システムへの無知からくる的外れの主張だとして退けますが、パレスチナ解放闘争とナチスの残党を、さしたる考えもなく結合させてしまう手塚治虫の態度には、強い疑問を持っています。彼はハリウッド映画から大きな影響を受けてきましたが、同時に歴史認識においても、洋画が差し出してきたイデオロギーを無批判的に受け入れてきた。これは危険なことだと思いますが、漫画論者は「手塚の映画的手法」という曖昧な言葉を繰り返すばかりで、こうしたイデオロギー分析に踏み込んでこない。…」
「草森 手塚的ニヒリズムの根底には、蝶の採取体験や蒐集の趣味の中で、弱肉強食の生物のシビアな運命を知った医学生だったこともあるけど、やはりユートピアをマンガの世界に求めたのかな。でも作品の中でユートピアを実現できるかといえば、そうもいかない。ヒマラヤ山中に隠れ潜む『0マン』のような桃源社会が、絵空事にも実現しているかといえば、その発表の段階で自ら崩していかなければならなくなる。しかも愚劣な人間を滅ぼそうとしている残忍な敵だと分かる。手塚治虫には共同体幻想もなかったと思います。…」といった具合で、手塚先生の天才と功績を認めつつもその限界をシビアに見据えている。なるほどなぁと感嘆する。無批判に崇めてばかりではいけないなと少し反省した。
手塚論で興味深かったのは、水木しげる先生との対比である。都会育ちの手塚先生はデッサン力がないが、境港育ちの水木先生は武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)で本格的な油絵の勉強をしてデッサン力は鍛えられている。マンガの画風も対照的。手塚先生は従軍体験がないが水木先生は従軍して南方に派遣され修羅場を潜っている。手塚先生の理想主義と水木先生の現実主義。ヒーローとしてのアトムと鬼太郎。ここら辺は一度じっくり研究してみたいものだと思う。
寅さんに関しては、私は、これは落語に範を採っているなぁという辺りの理解しかせず、これも無批判に笑ってみていたが、この分析も鋭い。例えば
「四方田 …興味深いのは、日本映画のメロドラマのなかでは、恋人や妻ではなく、繰り返し妹ばかりが描かれてきたということです。「泣くな妹よ、妹よ泣くな」という有名な歌の文句ではありませんが、戦時中の日本映画では、出征した兵士を故郷で待っているのは、まず母親であり妹でした。…ハリウッドでは恋人だと相場が決まっていたのを考えると、日本映画の特殊性が浮かび上がってきます。…『男はつらいよ』のさくらがこの系譜にあることは、言うまでもないでしょう。…さくらは言うなればこのシリーズにおけるクインビー、つまりただ一人の女性であって、『ドラえもん』のしずかちゃんと同じように、意識的に別の女性が侵入してくることに拒否反応を示しているのではないかと思いますね。」
「草森 …あれは渥美清という稀有なまでに、くさい喜劇役者をドラマの芯に太く置けたからだね。日本人の精神構造を口あたりよく、見えやすく作っていながら、無数の日本人を解くキーワードを蜂の巣、蜘蛛の巣のように糸を張りめぐらしている。山田洋次の目配り気配りというのは本当に怖いですよ。子供から老人まで、庶民からエセ・インテリまで支配した。…」
この日本人を解くキーワードについて更に色々の議論がなされているのだが、長くなり過ぎるので引用はしない。上記の妹さくらの位置付けと同じく、充分刺激的である。
そして、ときどき脱線する雑学的な話題も楽しい。例えば、デビュー当時の手塚先生の成功に触発されて丸谷才一氏が漫画本の原稿を書いたり小松左京氏がマンガを描いていたりしていたこと、『伊豆の踊子』での吉永小百合と山口百恵の対比など、へぇーと思う話題も随所に出てくる。ここら辺りが対談形式の妙だろう。その意味でも楽しく刺激的な本である。