私は己の無知を恥じなければならない。
中東問題について、新聞の解説記事などは目を通していたしテレビの海外ニュースなども見ており、新聞の見出しをみれば一応どんなことが起こっているのかは、詳しくはないにしてもある程度のイメージが涌く位の知識はあったつもりだった。しかし、パレスチナ人自身の声の記録を読んだのは本書が初めてであり、そして本書で指摘される情報の偏在ないしバイアスについては全く無知かつ無防備だったことに気付かされた。
この問題が、犠牲者が犠牲者を生む構造という複雑な様相を呈していること、すなわちホロコーストの犠牲者イスラエルが、犠牲者パレスチナ難民を生み出していることが正確に世界中に理解されていないことを本書は告発する。そして著者(正確にはインタビューを受けての話者)はイスラエル国家を排斥しようという立場ではなく、パレスチナ国家の樹立と同時に両者が共存すべきだという立場で、過去と現状を分析し提言する。歴史的と評されたオスロ合意の限界を告発し、その一方当事者となったPLOの故アラファト議長の問題を同じパレスチナ人の立場から厳しく批判する。
著者は自分の考え・立場が極めて困難な状況にあることを自覚しつつ且つ現状を厳しく批判しつつも、時間はかかってもなお事態は良いほうに向かうという楽観主義を失わない。
著者はアメリカの大学を出た比較文学者であり、政治・経済より「文化」の視点から鋭く現状と西欧世界を告発する。曰く「帝国主義についての経済や政治や歴史の文献は大量に存在しますが、それらに共通する大きな欠点の一つは、文化が帝国の維持のために果した役割を軽視しているということです。…19世紀の英仏に代表されるような近代帝国が、それ以前のローマやスペインやアラブのような帝国と一線を画するのは、それが絶え間なく再投資を繰り返す計画的な事業であるという点なのです。…」。
2003年に白血病で亡くなったとのことで、これはパレスチナ人にとってのみならず世界にとって極めて大きな損失であろう。思想的に西洋と東洋を繫げる力を持っていた彼に代わり得る者がいるのだろうか。
著者の「オリエンタリズム」という書は西欧世界で多大な反響を呼んだとのことであり、時々他の書籍で言及される。私は著者の名前を姜尚中教授の自伝「在日」という本で知った。姜教授は、日本名「永野鉄男」を捨て本名「姜尚中」を名乗るまでの苦悩に満ちた幼時からの成長期を同書で語っているが、その中で、社会学者として、サイードという本書の著者に深く触発されて、社会的発言を躊躇わなくなったとも告白している。
サイードも姜教授も祖国を奪われているからといって、だから対抗的に自分達の偏狭なナショナリズムを対置させ標榜するのではなく、普遍的な「解放」を求めようとする姿勢であり、私自身も厳しく自省する必要がある。