吾妻ひでお先生は知る人ぞ知る漫画家である(なぜ「先生」をつけるかは「梶原一騎伝」の書評をお読み下さい)。従って本書は漫画で書かれているが、しかし中身は全部実話だそうである。私小説ならぬ私マンガということになる。
ただ私は、吾妻先生は「ふたりと5人」くらいしか覚えていない。後の方は何かマニアックなロリコン・ギャグ漫画みたいなものを自ら主催した同人誌に描いていたと本書では出てくるが、私自身は同人誌は勿論知らないし70年代後半は余り思い出せない。ただ絵はうまいなぁと思って読んでいた記憶がある(私はマンガに関してはオタクに近いが、ただ絵の下手なマンガは読まない)。
この吾妻先生が突然仕事を放り出して失踪し、浮浪者いわゆるホームレスの生活を送る。失踪せざるを得ない何かかなり煮詰まった事情があるのだろうが、必ずしも明確には描かれていないし、マンガで描かれているので余り深刻さがない。
そして、フーン、ホームレスの人達というのはこうやって食っているのかと感心もしたのだが、実は私もホームレスに憧れた経験があることを告白する(正直に言うと今でもその気がない訳でもない−「下流社会」の書評参照)。1980年代中頃、私が神戸市職員をしているとき、配属された区役所近くの公園や繁華街にホームレスの人達が多くいて、一般市民から行政に苦情が持ち込まれることが多々あった。そこで、区役所内の「すぐやる課」「何でもやる課」という様な趣旨の部署に配属されていた私は、警察と協力する「浮浪者パトロール」なるものに参加させられたことがある(当時はホームレスという呼び方はなくて「浮浪者」と言われていた、今も「正式名称」はそうだが)。夜、路上で寝ている浮浪者に声をかけ施設に行くことを勧める様な趣旨のパトロールだったが、新米の私はただ警官に付いて回るだけだった。当時、私は公務員・サラリーマン生活にどうしても馴染めず、上司ともソリが合わず悶々たる日々を送っており、路上で酔いつぶれている浮浪者を見て、あぁこんな生活の仕方もあるんだなぁ、こんなになれたら楽だろうなぁと思ってしまった。吾妻先生のこの本で、残飯漁りの浮浪者生活で逆に肥ってしまったという辺りを読んで思わず笑ってしまい、浮世の憂さを捨てて浮浪者生活をして肥れるのなら、こんなお気楽なことはないなと確かに思ってしまった。
しかし結局のところ、吾妻先生は普通人の生活に戻って来られた。浮浪者生活を一生続けるとすれば行き着く先は野垂れ死にしかない訳で、その覚悟は普通の人は持てない。私もそうだった。
本書ではホームレス生活だけでなく、肉体労働者として働いたりアル中治療のための入院生活など余り見たことのない生活体験を教えてくれる。全て実話だということだが、漫画で描かれてあるので笑って読んでいられる。しかし、現実に自分がその場にいたとしたら中々耐えられるものではないだろう。
窮屈だが安全な一般人の生活と、お気楽だが野垂れ死にの危険があるホームレスの生活と、どちらを選ぶべきか、しばし考え込む漫画である。