「わかる」とはどういうことか、「わかる」ためにはどうすれば良いかという本である。いわゆるハウツー本とは違うが、帯に「まったく新しい知的生産の技術」と謳われているように、一定「技術」の本という理解は間違いではないだろう。この分野の古典である梅棹忠夫先生の「知的生産の技術」(岩波新書)を意識したコピーであろうが、梅棹本が京大カードや日本語かなタイプ(当時はワープロ等現れていなかった)を推奨したような具体性はない。手帳の書き方の様な具体例もないではないが、むしろ本書は、原理的な解説が面白い。
例えば、「直観」「直感」「勘」の違いを説明し、「直観」を得られるように努力すべきであることを説く。事象を要素に分解しその組み立てを理解し尽くし習熟した後にそれを背景に瞬時に得られるのが「直観」であり、分析抜きのただの経験主義に基づくのが「直感」であり、分析も経験も要するに何の根拠もないのが「勘」であるとされる。なるほど、と思う。
著者には以前に「直観でわかる数学」という著書があり、数学が好きだった私も買い求めて読んだのだが、実はよくわからなかった。そういう読者は「直観」ではなく「直感」でわかるという誤解を与えたのではないかと本書で言及されており、正に誤解した読者の一人が私だった訳である。
我々の仕事は、医療過誤訴訟では医学を、交通事故訴訟では自動車工学を、住宅紛争では建築学を、先物取引被害では先物取引の仕組みを、等など扱う紛争の内容に応じて、その都度専門知識を仕入れなければならないし、それらの諸事象を規制対象として細分化された法律も理解しなければならない。受任した訴訟に応じて勢い泥縄式にならざるを得ないが、どんな分野にでも応用が利く「わかる」技術が身についていれば怖いものなしということになる。そうなるための書というつもりで買い求めた。後は内容の実践ということになろうか。