甲能法律事務所甲能法律事務所
検索

メディア評インデックス

2006.12.07(木)

二十一世紀の資本主義論

岩井克人

私が学生の頃の30年前は、法学部生の我々でも履修すれば卒業に必要な単位として認められていた「経済原論」等その他の経済学諸分野は、近経(近代経済学)とマル経(マルクス主義経済学)の二派に色分けされていたが、社会主義が崩壊したとされる現代の大学ではどうなっているのだろうか。

当時の伝で色分けすれば、著者は近代経済学者ということになるのだろうが、産業資本主義の段階では剰余価値の搾取の概念を認めている点で、マルクス経済学を全く排斥はしていない。それを含めて商業資本主義、その後の産業資本主義、そして現代の資本主義を貫く原理は「差異」にあるとする。利潤は差異によって発生し、その利潤を求めて資本が運動していくという説明である。私は、近経にしろマル経にしろ経済学を本格的に勉強した訳ではないが、この原理の提示は新鮮である。

更に「貨幣とは、何らかの実体的な価値によって支えられているのではなく、貨幣として使われるから貨幣であるという自己循環論法によって支えられている純粋に形式的な存在である」という定式化にも驚かされるが、私の頭では納得せざるを得ない。

そして、「法人」について法学部の学生が民法を習うときに最初の頃に出くわす「法人否認説」「法人擬制説」「法人実在説」といった辺りを、経済学的にヒトとモノの所有関係の株式会社における「ゆらぎ」として説明するのも面白い。

ただ、著者が、我々は資本主義の中で生きて行かざるを得ず且つ資本主義は本質的に不安定であるとされる点は、正直なところ大変に不安である。国民ないし人類が不況知らずの安定的な生活、憲法の表現を借りれば「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」できるような経済理論は、そしてその理論に基づく政治は存在し得ないものか、経済学や政治学の学問に期待している私としては、著者の結論には不安なのである。もはやグランド・セオリーの時代ではないと盛んに言われるが、何とかならないものだろうか。

折りしも松坂投手の大リーグ移籍の交渉権を、ボストン・レッドソックスが60億円で落札したとのニュースに接した。60億円あればアフリカ等の飢餓や病気に苦しむ子供達がどれだけ救えるかを考えると、何か世界はどこかで筋が間違っているのではないかと思う。アメリカでも日本でもプロ野球は確かにビジネスであり資本主義の論理で突き進むのだろうから、何十億円という金が動くのは当然なのかも知れず、それは世界市場で例えば石油や銅、穀物などの先物取引で桁違いの資金が移動することと比べても驚くには当たらないのだろう。しかし、私には違和感が消えない。松坂選手の剛速球と切れ味鋭いスライダーなどプロ野球選手として評価するに吝かではないが、60億円という我々の日常生活からはイメージすることが出来ず、何だかなぁという気がする。


岩井克人<br />ちくま学芸文庫
ちくま学芸文庫
1000円+税