著者略歴によると、国立音楽大学でオーボエを専攻、ミュンヘン国立音楽大学大学院留学を経て、シュットガルト・フィルハーモニー管弦楽団第一オーボエ奏者、その後、NHK交響楽団首席オーボエ奏者であり、指揮者としてもデビュー、とある。レッキとしたクラッシック音楽家である。
にも関わらず(という言い方は正しいのかしら)、この様なコミカルな文章をお書きになるのだから大したものである。
楽器の特性と人間の個性の、著者が仰るような関連性が本当にあるのか等と詮索してはいけない。ここでの個性の描出というのか、人格特性の描写というのか、それを楽しむのである。
例えば
「クールな楽器であるフルート奏者の出身は、暑いところではないはずだ。むしろ北国であろう。北欧出身の世界的フルート奏者が多いのもうなずける。
しかし、一方では洗練されたイメージ、というものも欠かせないので、東北の寒村で『かんじき』を履いて一メートルの雪を踏み、木造校舎の学校に通い(生徒数合計八)、大根の葉のみそ汁で育った、赤いホッペの『わらしこ』というわけにはいかない。北国、洗練の両方を満たす土地となれば、これはどうしても北海道。それも札幌出身者以外にはフルート奏者はありえないことになってしまう。
親の職業は弁護士、医者といったインテリ系が浮上するが、本当のエグゼクティブは、やっぱりピアノ、弦楽器方面に進むと思われるので、ここは銀行員か公認会計士あたりが適当ではないか。」
これを読んだとき、何箇所かで笑ってしまった。そして、洗練されたイメージの対極を描き出すのに「かんじき」だの「生徒数合計八」だのを持ち出す芸の細かさにも感心した。この様な描写が楽器毎に丁寧に(多分著者は楽しんで)展開される。ご丁寧ついでに住まいが戸建てかマンションか、車は国産車か外車か高級車か大衆車か、血液型、星占いの星座、干支、まで予想してある。
この予想が正しいのかどうか私には皆目見当がつかないが、この様な個性の描き方自体は楽器のことがわからなくても(私はクラシックは聴かない訳ではないが詳しくはない)、十分楽しめる。確かな人間の分類になっているからである。「人間学」と銘打ってあっても看板に偽りありとは言えない。
クラシックファンでオーケストラの演奏会にいつも出かける様な方なら、尚更答えられない程楽しい本ではないだろうか。