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2007.01.29(月)

時間はどこで生まれるのか

橋元淳一郎

この本は怖い。ここに書かれてある内容をそのまま信じてしまうと(信じざるを得ないようなのだが)、これまでの私の人生が根本から覆される。というより、物理学者を筆頭とする科学者を除いて、普通の人たちも多分同じ気持ちになってしまうのではないか。

著者は時間についての三つの見方を紹介する。

A系列の時間。我々が日常感じ、それに従って生活している言わば人間的時間ないし主観的時間である。

B系列の時間。歴史年表の様な客観的時間。物理学的時間の一部に対応する。

C系列の時間。もはや時間とは呼べない、ただの配列。これは説明しにくい。本書を読んで頂くしかない。

そして、著者の結論は、「主観的にも客観的にも時間は実在しないが、C系列の配列はあり得るかもしれない。それが現代物理学の到達点」ということであるらしい。

私流に著者の結論を敷衍してみると、大要以下のようになる。

過去から現在を経て未来に至るという直線的な時間の流れは存在せず、因果律も否定される。過去の影響の下に現在があり未来が発生すると我々が感じているだけで、未来が過去を変えることも物理学ではあり得る。そして、我々一般人が感じ信じている様な因果律的時間は、生物の進化により必要とされた観念で、物理的実在ではない、というのだ。

とんでもない非常識な考え方で(しかし物理学者には常識的な考え方だそうで)、とてもついてはいけないのだが、どうも物理学的にはそういうことであるらしい。これを批判する能力、反論する能力は私にはない。

しかし収まりが悪い。著者も逆行する時間を説明した後で、そのおぞましさに理解を示す。

本書を読んで直ちに日常生活が覆る訳ではないのだが、もし著者の論理が物理学的に正しいのであれば、世界の捉え方が根本から変わってしまう。

では、どうしたら良いのか。著者は盛んにハイデッガーを引くが、いわゆる実存主義的な考え方で行くしかないか。若しくは仏教観的な世界観か。

眼からウロコという感じよりは、世界が壊れてしまうという感じで、面白くはあるが怖い本である。


橋元淳一郎<br />集英社新書
集英社新書
660円+税