脳に関する科学啓蒙書も読む。右脳がどうとか左脳がどうとかで大脳皮質に前頭葉やら脳下垂体やら一々覚えてはいないが、読んだ直後は何か少し賢くなったように錯覚する。それでもすぐに忘れてしまうので、性懲りもなくまた脳に関する本を買ってしまう。相対性理論しかり量子力学しかりで、理系コンプレックスの私は素人向けの科学啓蒙書ばかり読み漁る。科学関係のノーベル賞を貰う人たちには殆どミーハー的な憧れを抱いてしまう(故佐藤栄作首相や故アラファト議長がノーベル平和賞を受賞したりするので、文学賞も含めて文系のノーベル賞受賞者には全くそういう感情は湧かない)。
それで、本書もつい手を出してしまったが、これは科学啓蒙書というより、哲学書に近かった。著者の略歴を見ると、東大理学部大学院の物理学専攻でコンピュータサイエンスの第一人者でいらっしゃるらしく東京工業大学助教授も兼任され、バリバリの理科系の方のようだが、本書は難しい数式や脳内化学物質の元素記号も殆ど出て来ず、素人でも付いて行ける議論である。
「クオリア」という意識内に浮かぶ或は意識内を構成する「質感」を軸に、意識とはなにかを考えて行く。この「クオリア」を私なりに翻訳すると、「イメージ」という言葉が浮かぶ。意識内ないし脳内には、例えば「コーヒー」だの「リンゴ」だののイメージや「言葉そのもの」についてのイメージだのがひしめいていて、それを統括する「私」がいる。そして、<私>の一貫性とは何かといったことも議論される。先に述べたように、科学書というより哲学書に近く、一時私が凝った「存在論」(オントロジー)の議論や認識論が近しい感じがする。
著者の立場は、いわゆる脳を機能的に捉える立場−20世紀の物理主義/計算主義/機能主義とは一線を画して、脳と心の問題を考えるというお立場らしい。私は、脳は物理主義/計算主義/機能主義的に、時間はかかってもいずれ説明し尽くされるのだろうと何となく思っていたが、必ずしもそうとは限らない、そうなるとしても今の物理主義/計算主義/機能主義的な記述によるのではないと著者は考えておられる。著者のお考えをうまく咀嚼してここに要約することは私の能力に余る。読んで頂くしかない。
何か科学合理主義でいずれ<意識>も解明されると、何となく思っていた私の無知を改めさせてくれた本である。