今頃になって金子光晴かよとあきれる方もいらっしゃるだろうが、私は元来散文的な人間で詩集なんて柄ではないのだけれど、金子光晴のエッセイを読んでいたら本体の詩集の方も読みたくなった。というより著者の本業は詩人であるのだから、本体の詩集を読まない限りエッセイも理解できる筈がないので、読み出したというのが正直なところである。
また萩原朔太郎や中原中也などは現代国語の授業を通じて高校の頃に読んだ記憶があり、ある程度のイメージはあるのだけれど、金子光晴という詩人の高名を知ってはいたが詩そのものについては何も知らないことに、エッセイを読んでいて今更という感じで気づく破目になった。
そこで詩集を買って読んだところ、なるほどこれは教科書には載せられないな、それで、私の記憶にイメージがないのだと得心が行った。
「恋人よ。
たうとう僕は
あなたのうんこになりました。」(もう一篇の詩)
というのは未だいい方で、喚起されるイメージはいわゆる花鳥風月とは程遠い対極にある様々なイメージだが、鮮烈に読者の心に切り込んで来る。
「死骸。
蝋色で石鹸のやうに摩滅してゆく死骸。
死骸。
……一滴の血も残ってゐぬ死骸。
死骸。ぶらついてゐる、漾ってゐる死骸。
水母のように足掻いてゐる死骸。紐のやうな臓腑。
水のたまった貝のやうな大頭。
鮫は、それを切断機のやうにプッツンと切る。」(鮫)
第二次対戦前に発表された、この「鮫」を代表作として詩人は反戦・抵抗の詩人と戦後に称揚されるのだが、ご本人はエッセイの中で、そう評されることに強い抵抗を示している。
しかし日本軍国主義に対する詩的な反発の他方で
「教えてください。主よ。僕たち日本人はあなたの神について、ほんたうは、なに一つ知らないのです。知ってゐることは、あなたの神が、西洋人の福祉利益のまもり神で、彼らに優越感と勇気を与へ、開明と自由正義の名で、わがまま勝手に世界を荒らしまはるやうになった、非理非道の共犯者ということだけです。」(IL)
と西洋人の倣岸を断罪し、ここでの指摘は現代の帝国アメリカに見事に当て嵌まり、その慧眼には感服する。
特にエッセイでは日本人論を様々に展開しており、それも成る程とは思うが、しかしやはり、その様な散文的共感よりは詩人の叙情に感銘する。
「ローマという名のおさげ髪。
若かった僕はそっとうしろから
その一すぢをぬかうとした。
せめてもの君のかたみにと。
あゝ、なんたるわが身のうつけさよ。
その一すぢがたった一すぢでも、
君の皮、肉にうわってゐて
痛みもて君とつながるのを忘れて。
そんなわるいいたづらをする人は
もうあそんであげませんよ。
君はふり返って、僕をたしなめ
うるはしい眸でにらんだ。
三十年後のいまも猶僕は
顔をまっ赤にして途惑ふ。
そのときの言訳のことばが
いまだにみつからないので。」(女の顔の横っちょに書いてある詩)