日本SF界の泰斗、小松左京先生には親しい感情を抱いていたが、よくよく思い出してみると著作を読んだ記憶は少ない。確か高校のときゴエモンとかいう奇妙で笑えるキャラの宇宙人を主人公にした長編(中篇だったか)を読んだが、後は何か短編集を文庫で読んだ位ではないかと思う。それでも何故か親しい感じがあるのは、私が神様と崇める手塚治虫先生と同じSF作家クラブの会員で、また私が一時期購読していたSFマガジンの常連だったからだろう。
有名なのは「日本沈没」だが、これも本自体は読まず映画を観た記憶がある。
私が大学生のときに一時期読み漁った高橋和巳という中国文学の助教授と小松先生が、学生時代に同人誌を組んで小説を書いており親しい間柄であったことを知り、純文学の高橋ワールドの深刻癖というか暗い世界に対して、その作風の違いに興味を持ったこともある。
本書を読むと大変に多作でいらっしゃるが、上記の様な次第で私自身は小松先生の著作は余り読んでいない。ただ小松先生の創作歴を時代的に追跡するのに、それ程苦労は無い。私より20歳以上年上でいらっしゃるが、油ののった創作期においては私はほぼ同時代的に記憶しているからである。
私がSFマガジンを購読していた1970年代の高校時代は、SFはScience Fiction の略ではなくて、Speculative Fiction(思弁的小説)であるべきだ等と、何かSFのニューウェーブがSF作家と一部のファンの間でマニアックに騒がれていた記憶があるが、実際、小松先生が本書で指摘されている様に、現代では最早SFと銘打たないものの仮令純文学であっても、ファンタジックな思考実験的小説に満ち溢れており、フィクションの主要な潮流になって来ている。その先鞭をつけたお一人が小松先生だということは、「日本沈没」が「日本が沈没したら、日本という国土が消滅したらどうなるか」という思考実験によって、日本民族とは何かを考察して見せた小説であることでもよくわかるだろう。
余談だが、プレートテクニクス理論では日本は沈没せずに逆に大陸に乗り上げるのではないかと、筒井康隆先生が小松先生との対談で仰っているのを読んで大笑いした記憶がある。