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2006.06.20(火)

クライマーズ・ハイ

横山秀夫

またしても横山秀夫氏である。本書評欄で同氏の著作を採り上げるの既に3冊目。私の好みが如実に表れていることになる。いずれにしても傑作だと思うので、紹介するのに躊躇はしない。

主人公は、群馬県地方紙の記者。1985年の御巣鷹山航空機事故を、地元紙である地方紙が中央紙に対抗して、どう採り上げるかを大きな軸として物語が進む。横山氏は、1985年当時、群馬県の「上毛新聞」の記者だったのだそうで、ご自分の経験が素になっているのだろうが、私小説の匂いはしない。

例によって横山節ともいえる世界で、出てくる男達は男の矜持をかけてぶつかりあうし、そこには地方紙の意地、地元紙の意地があり、一方で、社内派閥の姑息な争いも描かれる。人物描写は容赦なく苛酷だが、それでも人生や人間に対する斜に構えたシニシズムとは無縁の、ある種の共感が感じられる。

だから、これは褒め言葉としていうのだが、横山氏は人情噺の語り手として超一流なのではないかと思う。「半落ち」のラストは殆ど涙なしには読めないといった感じだが、本書は推理小説ではなく特にドンデン返しがある訳ではないが、主人公はじめ登場人物の、記者として、サラリーマンとして、夫として、父として、息子として、の様々な秘話が痛切な想いで語られる。それらは大変辛い内容を含むのだけれど、そして、新聞社のある意味で殺伐とした職場を背景に語られるのだけれど、著者の目は温かい。読み終わって、よっしゃ俺ももう一頑張りしよう、と思ってしまう。いい本である。

ちなみに、私は新刊の単行本は滅多に買わない。やたら本を買って書籍代が馬鹿にならない生活をしているからだが、真っ当な本なら2、3年待てばいずれ文庫になり、文庫の方が安いし仕事鞄やポケットに入れて持ち歩けて基本的に電車内が私の読書空間だからである。だから横山氏のこの本も文庫化されるまで待っていたが、こと横山氏の本に関しては、その方針は考え直した方が良いのかもしれない。これだけ良い本なら代金をケチるのは馬鹿馬鹿しくて早く味わった方が良いし、私が知る限り駄作は見当たらず代金の価値は十分あるからである。


横山秀夫<br />文春文庫
文春文庫
629円+税