犯罪ドキュメントの古典の地位を確立している書籍として噂には聞いていたし、帯に「新訳」と銘打ってあったので購入し、初めて読んでみた。
ニュージャーナリズムの源流ともされているが、著者自身は「ノンフィクション・ノヴェル」と称しているそうである。多分この本が最初に世に現れた1965年当時は斬新な表現方法で衝撃的だったのだろう。事実を単純に報告する形式ではなくて、綿密・広汎に取材した事実を緻密に再構成して「見てきたような」ノヴェルとして読ませるのであり、今では余り珍しくはなくなっている書き方だが、著者が最初にこういう書き方をしたことに意義がある。
内容は、地域の人たちに愛され尊敬されていた4人の家族が惨殺された事件を追うものである。惨殺される前の家族のそれぞれの人となりが詳細に描かれ、彼らが悲惨な運命をたどらざるを得なかったことの不条理、加害者の残酷さが描かれる。しかし、著者は加害者たちの人となりも詳細に描きこみ一面的な物語にはしない。
ただノンフィクションなのではあるが、私にはどうしても翻訳小説すなわちフィクションを読んでいる気になってしまい、日本のドキュメントの様な現実感が今一つ感じられない。事件の場所も登場人物も著者もアメリカだし時代が40年以上も昔だし、ということで身近でないからということは勿論あるのだが、やはり翻訳文特有の言い回し、特に会話がどんなにこなれた日本語になっていてもどうしても翻訳文の会話にならざるを得ないので(当たり前なのだが)、私自身の受け取り感性が翻訳小説モードになってしまう。従って、このノンフィクションでありながらフィクションに感じられて現実感の方が感じられないというのは、受け取る側の私自身の問題で、著者は勿論、訳者の責任でも全くない。
そういう私の側の限界はありながらも、私の評価としては、本書は確かに古典たるを失わない、というものである。加害者たちの生い立ちから死刑執行に至るまでを、言わば執拗に追跡し、加害者たちの内面に遠慮会釈なく分け入ろうとする。私自身がこの犯人二人の内面が余り理解できない共感できないし、途中出てくる犯罪心理学の高説も今一つ納得し難いのだが、ここまで内面を踏み込んで描けるのはやはり大したものと言わざるを得ない。一読の価値は十分にある書である。