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2006.12.28(木)

硫黄島からの手紙

監督:クリント・イーストウッド 主演:渡辺謙

戦争映画は滅多に観ない。多分、最後に観たのは「地獄の黙示録」(F・コッポラ監督)辺りではないだろうか。その日本公開が1980年だそうだから20年以上前ほとんど30年前になりそうな話である(この映画自体はあまり感心しなかった。原作のコンラッド「闇の奥」の方が余程いい)。私は映画はストレス発散の道具と割り切っている部分があって(つまり基本的に活字人間で映像人間ではないということ−ご承知の通り漫画は大好きではあるが)、「人間や人生の本質に迫る」なんていう重苦しい題材を扱う映画には元々食指が動かない。だから、先日もB級アクション映画として「007カジノロワイヤル」なんて、ある意味どうでも良い娯楽映画をヘラヘラ笑って観る。

ただ、何故かこの「硫黄島からの手紙」は観なくてはいけないという義務感の様なものに駆られて結局観てしまった(尤も2部作とされるアメリカ側から硫黄島攻略を描いた「父親達の星条旗」は観ていない)。

重い。辛い。しかし、観なきゃ良かったとは言えない(余談だが観ながら結末が予想できた「セブン」という映画は観なきゃよかったと猛烈に後悔した)。当時の日本人の精神の有り様が、真実この映画の様であったのなら、そのことを我々現代の日本人は知らなくてはいけない。

陣地を死守できなかったとして自決する軍人達の姿が文字通り写実的に描写される。手榴弾を胸に抱いて爆死する自決場面では、吹っ飛んだ後の上半身が一瞬だが画面に映る。その映像は祖国に殉じる神々しい観念的で理想化された姿ではない。ただの気持ち悪い(最近の言葉で言えばキモイ)内臓と血の見える即物的な映像である。ハッキリ馬鹿馬鹿しいという意識が直感できる。何故そんなことで死ななければならなかったのか?何故自決しなければならなかったのか?そんな質問は多分後知恵なのだろうが。

全編ほとんど日本人の俳優が喋る日本語の場面である。とは言っても監督は俳優としても大スターの言わずと知れたクリント・イーストウッド監督である。私は、彼の大昔のテレビドラマ「ローハイド」、イタリア製の西部劇映画マカロニウェスタン「夕日のガンマン」、ハリウッドでの「ダーティ・ハリー」シリーズの全てのファンである。ただこの映画自体というか本編そのものには殆ど違和感がない。

強いて言えば、未開の地やそこの未開民族にアメリカ人が乗り込む冒険譚をハリウッドが映像化するとき必ずされる設定は、その民族の中に一人英語がわかる人間(大抵は美女−主人公と恋に落ちる)がいて、そのヒロインが主人公と未開民族を繋ぎ、未開民族が実は精神の内容的には「未開」ではなかったと啓蒙される落ちが多いのだが(観てないが「ラスト・サムライ」も似たようなもんじゃなかったの?けっ!!)、本編でも、主人公の栗林中将がアメリカ留学経験者で英語ペラペラ、その栗林中将の一番の理解者である西中佐がロサンゼルス・オリンピック馬術競技の金メダリストで流暢な英語を喋れるという設定が、未開民族相手の作劇手法と全く同じ構造ではないかと穿った見方が出来なくはない。アメリカに開明されたエリートが未開民族の中にいるという位置付けで。ただ、熾烈な戦闘の後に最後に生き残る日本軍人が、元々はパン屋を営む二等兵の庶民、部下を臆病者と日本刀で斬殺しようとする上流階級の士官という2名なので、更に或いは白旗を掲げてきた日本兵を面倒臭さの故に殺害してしまう米兵(これは明らかに「ハーグ陸戦条約」違反である)という風に、加害者・被害者双方(どちらが加害者か被害者かの相対化も含めて)の目配りは周到である。

私はアフガニスタンやイラクへの政策からアメリカ政府は大嫌いの反米主義者であるが(その癖ハリウッド映画は良く観ている)、この様な映画が作れるハリウッドというのは捨てたもんじゃないなと思う。見逃したが「父親達の星条旗」もDVD化されたら観てみよう。


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