新刊ではないが、書店で何気なく手に取り面白そうなので読んでみたら、期待に違わず面白かった。医学の素人でも十分に読める。
著者は、東京女子医大の病理学教授を永く勤められた方だそうである。本書の初稿を書き上げた直後の2001年にお亡くなりになった。
内容は標題の通り「医学の歴史」であり、西洋医学を中心に、中国、インド、イスラム等の医学の発達史にも触れてあり、日本の医学史にも一章を割き、小冊子ながら十分目配りが効いている。しかも史実を淡々と書き並べた無味乾燥なものではなくて、著者の人となりが主観的・恣意的になり過ぎない程度に現れており、特に博引傍証、その該博な知識ないし読書量は驚嘆に値する。例えば次のような箇所。
「医学はたんなる認識を超えた、悩み(パッシオpassio,patior苦しむ、耐える、というラテン語動詞より)の学、そして癒し(メディキナmedicina,medeor癒す、というラテン語動詞より)の学だったのである。いま「医学」と呼ぶ学問・技術は、「悩み」と「癒し」のどちらを看板にするか、両方の可能性があった、と『病理学史』(1937)の著者クランバールはいう。結局、「癒し」(メディキナ)が含む「理想」が勝利して医学medicineが成立し、「悩み」(パッシオ)に含まれる「現実」は病理学(パトロギアpathology)が引き受けたのだが、どちらにとっても荷は重すぎたようである。「時に癒し、しばしば救い、つねに慰む」(Guerir quelquefois,Soulager souvent,Consoler,toujours.)。これはアメリカの結核療養所運動の先駆者トルードー(1848〜1915)に、患者たちが捧げた感謝の言葉である。つねにできることは「悩み」に対応する「慰め」なのに、たまに(時に)しかできない「癒し」medeor(→medicine)を看板に掲げたところに、医学の宿命的な辛さがある。」
ここで引用した文章中の横文字はmedicineとpathologyの英語しか私にはわからないので、本分ベタ写しだが(それでも入力できない文字もある)、意味は十分わかる。そして、この様に知的だが決してペダンチックではなく、著者の医学に向かう真摯な人となりが十分感じられる爽やかな文章が続く。読んでいて気持ちが良い名文である。その意味でも楽しい。
私は医療過誤訴訟を患者側の立場から幾つかやっているが、本書を読むのは日頃の断片的で泥縄的な医学知識の背景を埋める作業の一つとして、仕事の一部ということも出来ないではないのだが、仕事を忘れて読書に没頭できる楽しい作業だった。