副題に「子供たちの昭和史」とある。男の子が夢中になる模型、或いは大人になっても趣味として続ける模型作りについて、北九州市で模型店を経営しプラモデル専門誌「モデルアート」の編集者であった著者が自伝的に語る。
著者は第二次大戦に徴兵された年代でいわゆる団塊の世代よりは前だが、この世代とこれに続く世代を夢中にさせたプラモデルの仕掛け人側にいた方である。
戦前の木造模型の伝統が、プラモデルに変わる流れ等、著者の個人史が現実の昭和の玩具文化史に重なる。
中でも日本のプラモデルが欧米の精密志向の静的模型と違い、最初から動く若しくは動かすことをコンセプトとして始まったこと、それが江戸時代以来の「からくり人形」の伝統ではないかという指摘は面白い。
出てくるプラモデルの名前が懐かしい。「紫電」「隼」といった戦闘機、「パットン」などの戦車、「大和」の戦艦や潜水艦など。中でもプラモデルに使われる「マブチモーター」、接着剤の「セメダイン」等も子供の頃を思い出した(なお、マブチモーター社長宅の放火殺人事件は比較的最近だった筈である)。ただ我が家は貧乏だったので、高価なプラモデルは滅多に買って貰えなかった。プラモデルの名前を見ると、子供の頃の切ない気持ちが蘇る。
この様な子供の気持ちとは別に、プラモデル企業の盛衰も日本の産業史としての一側面を現していて、なるほど、そういうことがあったのかと感心させられる。
団塊の世代から昭和年代に子供時代を経験した男性には大変懐かしい内容だと思う。