「若きウェルテルの悩み」を読んだのは確か中三か高一の頃だったと思うが、はっきりしない。というより内容さえも具体的には思い出せない。本書で、そういえば書簡形式だったなと少し思い出した。この小説でゲーテは当時のドイツ諸国で(ドイツは未だ統一されていなかった)更にはヨーロッパ諸国で、若くして高名になったそうであるが(ナポレオンは9回読んだそうである)、私が今思い出せないということは当時のドイツ人程には15〜6歳の私は感銘を受けなかったということなのだろう。それでも続けて教養としてゲーテ詩集を無理やり読んだ様な記憶があるが、これも何一つ思い出せない。元々人間が散文的に出来ているので、詩集それも翻訳詩集に感銘を受けて暗唱するような柄ではなかったのだ。
その程度のゲーテに対する興味と知識しかなくても書店で本書を見て、何となく買ってしまったが、大変おもしろかった。
「若きウェルテルの悩み」の書簡形式は、郵便自体が最新の通信方法であった当時のヨーロッパでは大変モダンで、今で言えば電子メール通信形式での小説に匹敵するという辺りの指摘に見られるように、著者の視野は時空を越えてゲーテの行動を批評する。
「ゲーテの『ファウスト』はまた、期せずして近代文明史の簡潔な要約でもあるだろう。というのは、主人公は神秘家としてはじまって、ついで愛の人、技術者、銀行家、大土地の利用法を思案する企業家、そして最後は実利的政治家として終わっているのだから。のみならずファウストは、さまざまな仮面や衣装のもとに忍びよる近代の誘惑そのものでもあるだろう。つまりが愛とセックス、酒、メランコリー、また超人願望である。
そして、どれにも収まりきらない人であって、個々人としては一人前だが、さまざまな自分を統一することができない。そして、とどのつまり、すべての苦労は役立たずに終わる。この点、近代の行く末そのものといえそうだ。」
という作品解説が的確なのは勿論として、ゲーテの行動に対する著者の筆致は遠慮がない。74歳のゲーテが19歳の女性にフラれて、馬車の中で「マリーエンバートの悲歌」を書いた。
「『マリーエンバートの悲歌』と訳されるからおごそかだが、マリーエンは『マリアの』といった意味だ。聖母マリアである。バートは温泉、『悲歌』の原語『エレギーエン』はエレジーのドイツ語。観音温泉エレジー、つまりは『湯の町エレジー』である。
ついでながら温泉町マリーエンバートの恋は一八二三年のことである。ナポレオンの没落のあと帝国全土にわたり、宰相メッテルニヒによる監視体制がととのっていた。湯治町にはワケありな人物が出入りするので、とりわけ監視の目が厳しい。老ゲーテの恋愛のことも、当局に報告が届いていた。当局の指示は『特に調査の要なし』。老人が小娘にいいよってフラれたという、笑うべき一件として処理されたらしいのだ。」
文豪ゲーテも形無しである。しかし、著者のゲーテへの愛情は十分伝わってくる。
ちなみにゲーテのベートーベンに対する人物評も紹介されている。当時のベートーベンはピアノの巨匠として有名だったそうだが、一度ともに旅をしたゲーテが友人の音楽家に宛てた手紙である。
「…その才能には驚かされましたが、残念ながら彼はまったく抑制のきかぬ性格で、そのため自分にも他人にも、世の中を暗いものにしてしまうのです。もっとも聴力がだめになっているので、無理からぬところがあり、たいそう気の毒でもあります。」
天才・文豪その他の名声を欲しいままにしたゲーテを、大変親しみやすい人物にしてくれる内容で、ゲーテの作品を読んでなくても十分楽しめた。