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2006.03.17(金)

いのち
生命科学に言葉はあるか

最相葉月

刑法各論(それぞれの犯罪を個別に論じる分野)の勉強で、初めの頃「人」とは何を指すかという議論を習う。何を当たり前のことをと思われるかも知れないが、何故これが問題になるかと言えば、「堕胎罪」と「殺人罪」の区別、「死体損壊罪」と「殺人罪」の区別に必要なのである。すなわち、胎児を殺害しようとするのは法律上は堕胎罪にあたって殺人罪ではない。そこで、残酷な教科書設例が挙げられるのだが、胎児が母体から一部でも露出すればその一部への攻撃が可能だから、その時点で「人」になる(すなわち攻撃して殺害すれば堕胎罪ではなく殺人罪になる)という一部露出説なんて学説があり、反対する学説に全部露出説なんてものがあると習う。或いは、生きているように見えて実は既に死んでいる者に日本刀で切りつけても本来は殺人罪ではなく死体損壊罪になるに過ぎないので(学説によっては殺人未遂とする説もある)、いつ殺人罪でいう「人」から死体損壊罪の「死体」になるかも議論される。特に後者は、臓器移植との関係で「脳死」は「死」かという形で、比較的最近議論されたものである。

この様な「人」に関する古典的刑法議論が、通用しなくなって来ている。それは、私が30年前に習った高校時代の生物と現在の生物学が大きく異なり、いわゆる「遺伝子工学」なる学問まで興っている時代だからである。

このような時代、すなわちクローン生物を作り出すことが可能となった時代に、本書は「いのち」とは何なのか、どう考えたらよいのか、いわゆる死生観について第一線の生物学者や或いは逆に宗教家等の様々な分野の専門家と語り合ったものである。その様な対話を積み重ねることで、問題の複雑さ多面性・重層性を解き明かそうとしたもので、その意図は評価すべきであろう。確かに大変に難しい問題であり、私自身が考えあぐねている。

ただ、書物として見る限り、如何せん新書に収まり切る内容ではない。対話者一人一人について最低一冊の本が成立する位の内容である。エッセンスらしき発言は拾ってあるのだろうけれど、殆ど入り口で終わる感じでもっと聞きたいもっと展開して欲しいと思う発言が多々あった。知りたければその専門家の著作を読めということなのだろうが、逆に、新書レベルでその辺の知識を手っ取り早く手に入れようという私自身の安直さの方が問題なのだろう。

法律家という職業には「死」が比較的大きな比重を占める。刑法での「殺人」「過失致死」という犯罪と「死刑」という刑罰、民法での死亡被害を引き起こした「不法行為」、死者の収入で決まる「命の値段」、死者の財産が問題の「相続」「遺言」。その他いろいろあるが、そういう中で仕事として取り組んでいると、時折出会う遺族の慟哭には言葉を失う。法的な観点からの「死」の切り取り方に慣れきってしまっていた自分の底の浅さに恥じ入ることがある。

いずれにしても本書の多面性は、思索に必要な観点を提供してくれるだろう。


最相葉月<br />文春新書
文春新書
840円+税