奇妙な感想の述べ方かもしれないが、読了後、私は本書を「精読」したくなった。別に本が逃げ出す訳じゃなし「さっさと『精読』すればぁ」と言われそうな話なのだが、この場合の「精読」とは単にユックリ、ジックリ読み込むという意味ではない。司法試験の受験勉強のときの様に、高名な学者の手になる代表的な概説書(それが本書に当たる)を読み、引用されている判例の原文にあたり且つその解説文を読み、同じ様な題材を扱った一連の判決を分析した論文を読み、演習問題を解いたりしながら学友とも議論し、その上で更に概説書に戻ってその記述の意味を再考、反芻する、というような本格的な「精読」である。回りくどい言い方をしているが、簡単に言ってしまえば「社会学」という学問に本格的に取り組んでみたいと思った、つまり大変に興味が涌いたということである(本書評欄を良く読まれている方はお判りと思うが、私には根強い学者志向がある)。
著者の中心メンバーの宮台真司氏は、大分昔に「朝まで生テレビ」等に時折出ておられたのを拝見して、当時は「何や、この『援交解説』お兄ちゃんは」という様な印象しか持っていなかったのだが(今は己の愚かさに恥じ入る)、本書を読んで私は一気に宮台氏のファンになった。
分析の対象が少年マンガ、少女コミック、ニューミュージック等を含めた音楽、時代的な「性」等など私達が日ごろ接する文字通りのサブカルチャーであることから、大変とっつきやすい面がある。そして、その様な題材を扱いながらも、その切り口は一般人の私からしたら目からウロコと言える様な斬新なものなのだ。
例えば、どの様な音楽をどういう人格タイプの人間が好むかという分析の中の一文
「男性ニヒリストの歌謡曲支持を支える『どうせオイラは』的な韜晦志向は、関係性志向(ニューミュージック)や忘我的同一化志向(ロック)とよりも、むしろオシャレ志向(ポップス)と両立困難なのである。」
この一文だけでは解り難いと思うが、その他この様な独特の用語(他にも頻出する「陥没した眼差し」など)が散りばめられ、また多用される「『システム理論』によれば」という記述の内容を明確に提示する部分がないという点で必ずしも判り易いとは言えない面があるのは確かであるが、にも関わらず、時代を社会をこの様に鮮やかに分析してみせる荒業には驚嘆せざるを得ない。扱われている資料も膨大なものである。私達が日頃週刊誌を読んだりFMから流れてくる音楽を聞き流したりというレベルとは、全く質も量も違う。
そして、これは文庫の特権であるが、上野千鶴子氏の解説が素晴らしい。本文の提灯持ち的な解説ではなくて、社会学者上野千鶴子が社会学者宮台真司と正面から斬り結ぶという緊張感溢れる、そして良く読むと思いやりにも溢れている驚嘆すべき解説に私には思える(もちろん驚嘆すべき本文を前提にしてだが。ちなみに「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」遥洋子−私は筑摩書房の単行本を持っているが「ちくま文庫」で出ている−という抜群の本も一読をお薦めする)。
時代を俯瞰する透徹した視線、というのは我々が常に欲するものだと思うが、当然簡単には手に入らない。本書は、それを一時(いっとき)垣間見せてくれる名著である(しかし、社会という「生もの」を扱う以上「一時」にならざるを得ない。もちろん著者の責任ではない)。