ショーン・コネリーの初代ジェームス・ボンドの頃から007シリーズは観ており、その頃、私は小学生だった(確か4年生くらい)。特にシリーズ中の傑作「ロシアより愛をこめて」の中で、ボンドがヘリコプターの追跡を受けてライフル一丁で応戦するシーンは、今でこそ珍しくはないものの当時は極めて斬新で子供心に完全に画面に没入し本気でハラハラした。同時に何か唖然とする思いだった。当時「鉄腕アトム」にも夢中だった私はロボット同士のアクションシーンにもハラハラはしたが、このボンド対ヘリコプターという生身の人間対機械という実写のアクションシーンは、アニメのアトムと違って私が生きている現実の世の中にはこんなこともあるのだと、大げさに言えば人生が変わる程の衝撃だった。
そういう下地があったからか、長じて私はスパイ小説を好んで読むようになった。
しかし、いずれも現実の世界ではない。真の諜報の世界ではジェームス・ボンドの様な工作員が跋扈する様な余地はないらしい。
本書の著者は、その意味で地味な現実の諜報の世界を手堅く説明してくれる。
著者略歴によると、東大文学部言語学科中退、国家I種試験合格後、公安調査庁に入庁、そしてアメリカのCIAに情報分析研修に派遣された、とあり、バリバリの情報分析のキャリアでいらっしゃる。
昔の冷戦時代の様な、イギリス情報機関の幹部キム・フィルビーがソ連のスパイだったり、西独首相秘書が東独のスパイだったり、という派手な事実が扱われている訳ではなくて、現代の極めて地味な情報収集と分析の世界が語られる。そして、イラクに大量破壊兵器が存在するという情報が実は殆ど実体の伴わないものであるにも関わらず、それが一人歩きし出す過程が分析され、その世界での情報分析は「見込み」でしかなく、過大な期待や「確信」を持つべきではないとの警鐘を鳴らす。
本書で思うことは、著者が依拠する情報の多くが公開されている公の情報であり、いわゆる秘密情報機関が収集した極秘情報という様なものは殆どなく、秘密情報などなくても系統的に情報を追って行けば相当程度の確度の情報分析が出来るし、現に現場の機関はそうしている、ということである。
一つ大変気になる記述があった。
「NSAの実態に肉薄したジェームス・バムフォードは近著『戦争の口実』で、ネオコンによるイスラエル支援という要素があるとすれば、それはイラクへの先制攻撃においてどのような役割を果たしたのか、未だ解明されていないと指摘する。より直裁に敷衍するならば、イラク戦とはまさに、イスラエルにとって戦略上の脅威であるサダム・フセインを除去することを目的とした、イスラエルによる対米カバート・アクションの産物に他ならなかったのではないかという問題意識があるわけだ。かかる視点に立つとき、イランの核開発問題に対する米国の対応も、異なった意味合いを帯びてくる。」
ここで「カバート・アクション」とは著者によれば「直訳すれば『非公然工作』、すなわち戦前に使われた『(狭義の)諜報』ないし『特務』、日常用語で言えば『謀略』の語感に近い」という。何か薄ら寒い気持ちになる。本書の表題どおり「諜報機関に騙されるな」である。