自動車が盗まれたとして盗難保険金の請求をした福岡市の男性が、支払いを拒んだ「あいおい損害保険」(東京)に450万円の支払いを求めた訴訟の上告審判決が、平成19年4月17日、あった。最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)は、持ち主側が立証すべきことは「第三者に車が持ち去られたという外形的事実のみ」との基準を初めて示した。保険会社側は「わざと盗ませた」ことを立証しなければ、保険金支払いを拒むことはできなくなった(朝日新聞夕刊)。
最高裁はこれまで、「故意かどうか」について保険会社側に立証責任があるとの判断を、火災保険や衝突などによる車両保険の場合で示してきた。今回の盗難保険の場合は、この基本線を維持しながら、「第三者に持ち去られた」という外形的事実の立証責任は持ち主側に課した。現物と保険金を「二重取り」するような保険金請求詐欺に一定の歯止めをかける姿勢を示したといえる。
ここで、「立証責任」という言葉が使われているので、解説する。
法律家の間では、「挙証責任」と言われたり「主観的立証責任」「客観的立証責任」と区別されて使われたり、更には紛らわしい言葉として「主張責任」或いは「主張立証責任」なんて用語もあったりする。結構めんどうな議論である。ただ、ここでは伝統的な用法に従い「挙証責任」を使う。
「挙証責任」とは大変平たく言うと、証拠上ある事実を確定できないときにその事実は不存在であると認定される不利益、ということになる。どういうことかというと、裁判では、事実の存否が争われるが(例えば本当にお金を貸したか、或いは借りたけれども本当に返したか)、その事実があったかなかったかは事実認定のプロである裁判官の自由な判断に任される建前である(これを「自由心証主義」という。対するのは「法定証拠主義」で例えば3人同じ証言をしたら必ずその証言通りに事実を認定しなければならないと裁判官に法律で強制するもので、日本では採用されていない)。
しかし、裁判官は神ならぬ生身の人間であるから、どうしても事実を認定できない場合が当然あり得る。例えばA証人は甲があったと証言しB証人は甲はなかったと証言し、どちらかが嘘か記憶違いを証言しているに違いないのだが、たとえプロの裁判官であってもどちらが真実か見抜けないということは当然あり得る話である(この「真偽不明」の状態を「ノンリケット」という)。そういうときに、法律や法解釈で甲という事実はないことにするというのが、挙証責任を負担させる、ということである。
そしてこの挙証責任を、どちらの当事者にどう負担させるかを「挙証責任」の分配という。例えば「100万円貸したから返せ」という裁判を起こしたときに、「貸した」と主張する方(原告)と「借りていない」と主張する方(被告)とで立証を尽くす訳であるが、結局、裁判官にはノンリケットどちらの言い分が真実か判らないという場合が発生する。その場合、「貸した事実」は原告の方に挙証責任を負担させ、貸したという事実は立証できていないということにするのである。逆に、「確かに100万円借りたが、返した」という場合、返したという事実の挙証責任は被告側が負うことになっている。つまり、自分に有利な事実を立証できなければ、その責任は自分が取って貰いますよということなのである。
だから、盗難車保険の本件の場合の挙証責任の分配について最高裁が判断したからニュースバリューがあったということになる。