福岡高裁は、平成19年3月19日、いわゆる佐賀3女性殺人事件において、佐賀地裁が無罪とした判断を維持し、検察側の控訴を棄却した(朝日新聞20日朝刊)。
本件で最も問題となったのは、被告人の「自白上申書」の証拠能力だった。その他に若干の補強証拠も提出されたそうであるが。
我が国の基本法である憲法には、詳細な刑事手続保障が定められている。そのうち38条1項は「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」とされており、これがいわゆる「黙秘権」の保障である。そして同じ条文の2項に「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。」とされ、これが自白の「証拠能力」の規定である。更に同条3項は「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」とされている。
鹿児島県警による選挙違反事件無罪判決(2月23日)の解説で、自白の評価には二つの段階があることを述べた。すなわち、自白の「任意性」と「信用性」である。鹿児島県警の判決では任意性は否定されなかったが、信用性は否定された。そして今回の福岡高裁判決は、佐賀地裁判決と同様、任意性を認めなかった。捜査方法の違法性は任意性否定の方が大きい。その意味では裁判所の捜査方法批判としては任意性否定すなわち証拠能力否定の方が大きい。
新聞記事掲載の判決文によると
「本件取調べは、本件とは全く関係ない事件で起訴され、起訴後勾留されていた被告人に対し、当初からしゃにむに自白を獲得する目的でなされたものであり、取調受忍義務のないことを知らなかった被告人に対し、あたかも義務があるかのような内容の告知をした上で取調べを開始している。
そして実際の取調べ状況は、被告が別件で起訴された後の89年10月26日から11月18日まで連続して取調べを続け、殊に被告人が自白した11月11日までの17日間は、最長が15時間21分、平均約12時間35分に及んでいるだけでなく、被告人に対し自白を迫る威迫的なものであったと認められることは原決定が認定・判示するとおりである。
本件が極めて重大かつ悪質事案であり、被告人を取り調べる必要が一応肯定されるとしても、取調べは、本来は受忍義務のない任意の取り調べの限界を超えて、実質的に義務を課したに等しいものというほかない。本件取調べは令状主義を甚だしく潜脱する違法性の高い取調べであり、その間に収集された本件上申書等の証拠は、捜査官側の目的に照らしても、将来における違法捜査抑止の観点からして証拠から排除するべきもの…」
ということである。
普通の人なら、外界との接触を絶たれた勾留状態で、半月以上も毎日毎日「お前がやっただろ!自白しろ!」と1日12時間以上も「威迫的に」迫られたら「もういいよ、好きにしなよ、この苦しみから解放されるなら何でもするよ」みたいになってしまうだろう。多くの冤罪事件と同じ構図である。よく「やっていないのなら、それで押し通せばいいじゃないか」という趣旨の意見を聞くが、勾留状態で孤立無援の中で、警察という権威を笠に来た人たちが大声で威迫すれば、普通の神経の持ち主なら負けてしまうのである。それは疚しいことあるのとは全く別の次元で、何の疚しいことがなくても「吐く」のである。つまり自白が捏造される。冤罪の構造を分析した本を昔読んだが、ここまで警察に強圧的に迫られれば普通の人なら真実に反していても負けるよなぁと思ってしまった。
いずれにしても上述の憲法の規定からして、真っ当な判断ということができる。
しかし、鹿児島県警といい佐賀県警といい同じ九州人として大変残念である。