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福岡市弁護士甲能ホーム判例解説インデックス鹿児島地裁「選挙違反事件6名全員無罪」

判例解説インデックス

2007.02.25(日)

鹿児島地裁「選挙違反事件6名全員無罪」

自白の信用性認めず

鹿児島地裁は、平成19年2月23日、鹿児島県議選をめぐる選挙違反事件の被告人ら6名に、全員無罪を言い渡した(朝日新聞)。自白の信用性について、追及的・強圧的な取調べがあったことをうかがわせる、主犯とされる元県議にアリバイがある、物証が全く提出されておらず供与金の原資がまったく解明されていない、ほとんど「架空事件」との認定をにじませる判決だという。

判決文は見ていないが、判決では自白に信用性がないとされたものの様である。この点、厳密に法的に言うと「自白」の扱いには二段階ある。すなわち「自白」についての「任意性」の有無と「信用性」の有無である。

「任意性」のない「自白」は「証拠能力」がない。憲法38条2項は「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。」と明定する。つまり「証拠能力」とは「証拠資格・証拠適格」と言い換えても良い。要するに拷問や不当に長く勾留されて無理やり自白させられたのであれば、その自白を証拠にしてはいけないという意味である。

他方「信用性」は文字通り「自白」の中身が信用できるかという問題であり、「任意性」とは本来は別次元の問題である。無理やりさせられた「自白」であっても真実を語ったのかも知れないし、無理やりだからこそ真実でなくても「自白」の形を取らされたのかも知れないし、いずれにしても「任意性」の有無と「信用性」の有無とは論理的には別次元で成り立つ問題である。従って、裁判所が被告人の「自白」の評価を巡って無罪とするときには、「任意性」がないから無罪、「信用性」がないから無罪、の二つの方向があることになる。

そして、この「任意性」「信用性」の二つの観点から見たとき、「捜査機関」つまり「検察庁」と「自治体警察」(本件では鹿児島地検と鹿児島県警)の捜査手法の「違法性」は、「任意性」がないと認定されたときの方が当然大きい。つまり権力を笠に着て市民を拷問等の圧力で自白させたということになるからである。もちろん拷問などの圧力の結果、内容虚偽の信用性のない自白がされることが多いであろうから、信用性の有無の観点の限りでも捜査機関の違法性は浮き彫りにされるのだが、裁判所の認定としては、前者の方が捜査機関・訴追機関に対しては厳しいということは明らかであろう。

いずれにしても、鹿児島県警は先日「踏み字事件」の国賠訴訟で敗訴したばかりで、とんでもない失態である。

新聞報道によると、主犯とされた被告人の出た選挙区は、被告人が出馬しなければ無風選挙区であったところ、被告人の出馬により一転選挙戦に突入し被告人が初当選した、とのことである(本件での勾留中に辞職)。そして、被告人とは別にその選挙区から出ていた県議の周辺で不満がくすぶり始め、今回の事件を担当したのはその不満県議と「親子同然の仲」と呼ばれる警部であったという。更に記事は、この捜査の責任者は、鹿児島県警では選挙違反と汚職捜査のカリスマと呼ばれ、捜査手法は「たたき割り」と呼ばれて自供を迫るものだったとされている。

この記事が本当なら、21世紀の日本で前近代的な冤罪事件が発生したという意味で、最早「権力犯罪」と断定しても良いのではないか。