渥美清さんについての記憶で一番古いのは、小学生の頃に見た「夢で会いましょう」という有名なNHKのバラエティ番組での一場面である。どういうシチュエーションかは忘れたが「あふれる知性」といったナレーションの下に、渥美清さんがコップの水を飲み干し「さすが東京のエッチツーオーはうまいねぇ。」というセリフを例の妙に艶のある声のベランメェ口調で言う。一緒に見ていた父が吹き出したが、何が面白いのか小学生の私にはわからず「エッチ何とかちゃ何ね」と聞くと「水のこったい」と教えてくれた。「それ英語ね」と聞いて、違うという回答までは思い出せるが、元素記号のH2Oの説明までしてくれたのかは思い出せない。このギャグを思い出したのは確か学校で元素記号を習ったときだから、仮に父が説明してくれていたとしても理解していなかったのだろう。
そしてテレビで時折見かけていた後は、他の方々同様、寅さんシリーズのイメージを抱き続けていた。京都にいた学生の頃「京一会館」という邦画専門館があって(未だあるのかしら)、そこで「寅さんシリーズ」一挙上映などと称して一度に数本の寅さん映画をオールナイトで上映したりしており、時折見に行っていた(そういう見方が出来る映画館で、特に有難かったのは「仁義なき戦い」シリーズの一挙上映だった)。
ところが、この本を読むと、没後に国民栄誉賞まで貰った国民的喜劇俳優で、愛すべき風来坊である「寅さん」のイメージが根底から覆される。この本で語られる渥美清さんという役者さんの実像が、実は孤独な野心家で、その野心で「天下をとろう」ともがき苦しんで動き回った末、ある意味で「天下をとった」のだ(それが真実達成感や幸福をもたらしたかは別として)ということがわかる話である。
それも競争の激しい喜劇役者の世界が、お互いが切磋琢磨し合うといった形の公正な競争では必ずしもなく、嫉妬に基く足の引っ張り合いに近い中で勝ち上がる話だから大変生臭い。しかも足の引っ張り合いをする役者さん達が私達に名前を良く知られている方々で、なおさら裏話的な興味がある。
しかし、いわゆる芸能週刊誌的な暴露話の筆致ではなく、著者のある種のストイックな感性というか清潔感が私には感じられる。もちろん主人公は渥美清さんではあるのだが、著者の渥美さんとの距離の取り方に著者の人となりが現れていて、それも趣が深い。
例えば、
「「そうか、結婚か・・・」
渥美は腕を組んだ。
「おれは忙しくて考えられないな」
「こう思ってたんだ」
ビールのせいもあって、ぼく(著者)は柄にもなく感傷的になっている。
「あなたが忙しくなって、逢えなくなっても、べつにかまわない、とね。とにかく蒸し暑い夏の夜にあなたのアパートへ行って、夜明けまで夢中で話し込んだ想い出が、ぼくにとっては大事なんだ。なんか、凄い昔みたいな気がするよ」
「そりゃあ、おれだって同じよ」
渥美清はぼくの目をじっと見て、
「ご存じの通り、俺は他人が自分のアパートに入るのが嫌いだし、家に帰ったら、ベッドでじっと寝てるだけの男だろう。そういう無精者が、十代の時みたいにさ、空が白んでくるまで、ひととあんなむきになって話したなんて空前だよ。なるたけむきにならないように心がけているんだから」
涙が出そうになったぼくは俯いて、箸で肉をつまんだ。」
そして、別の箇所の引用
「誤解があるから念を押しておくが、ぼくは渥美清の<友人>ではかった。渥美清は各方面に<友人・のようなもの>を持っていたが、すでに述べたように谷幹一・関敬六しか信用していなかったのではないか。」
その他いくらでも引用したい箇所があって、というより全編引用したくて、ということは即ち、この本、読んでごらん、いいよ面白いよ、という意味である。