著者は「A」というオウム真理教のドキュメタリーおよび続編の「A2」を撮った映画監督である。テレビディレクター時代に、このドキュメンタリーの企画が没になって、会社を辞めて、この企画を生かしたという経歴を持っておられる。そして、私自身は、この映画のどちらも観ていない。つまり論評する資格がない。しかし、観もしないでテーマがオウム真理教というだけで論評する、或いはビデオ化・DVD化を拒否する会社が現状だと著者は慨嘆するので、私自身は何も言えない。ただ、著者のドキュメンタリーから派生した「放送禁止歌」というルポに大変な感銘を受けたので、本書評欄でも採り上げ、著者の姿勢を私なりに評価した。その流れで、本書を手にしたのだが、著者監督の上述映像を観たいものだと思いながら果たせないでいる。
だから文章だけに限ってしか言う資格は私にはないのだが、著者の感性は殆ど私とダブる。年代が同じだからだろう(著者は1956年生まれ、私は1954年生まれ)。
「…僕の世代は思春期を迎える少し前に、安田講堂陥落やよど号ハイジャック、あさま山荘やテルアビブ空港乱射事件などの事件や報道で、たっぷりと脳内領域のどこかを触発されていた。『イージーライダー』や『いちこ白書』、ジョン・レノンやボブ・ディラン、フラワーレボリューションやウッドストックなどの刺激もあった。思春期を迎える直前だったからこそ、反体制や反権力であることが当たり前のこととして刷り込まれたことは確かだろう。ところが受験勉強を終えてやっと入学した大学のキャンパスでは、政治の季節は終わりかけていた。大学に入学した年に大ヒットした荒井由美の歌詞が、この時代をとても的確に言い表している。
僕は無精ヒゲと髪をのばして
学生集会へも時々出かけた
就職が決まって髪を切ってきた時
もう若くはないさと君に言い訳したね
(いちご白書をもう一度 荒井由美 作詞/作曲)」
この文章は、私の成長過程ないし感性と殆ど完全に一致する。著者と私の2歳の年の違いは問題ではない。私は荒井由美氏も上記の歌詞も大嫌いだが、時代を表す文章として上記の引用はドンピシャである。
この同じ感性で書かれた文章に共感しない筈がない。多分私を含む著者の前後2〜3年の世代は膝を打つと思う文章ばかりだ(と思うが褒めすぎ?或いは共感し過ぎ?)。
で、結局、本書の標題に戻る。読み返して貰いたい。そうだと私も思う。本当にそうだと思う。「ほんのちょっと立ち止まって自分の善意を疑ってみれば」標題に行き着くのである。でなければ、救われないではないか。