先日の「定本 啓蒙かまぼこ新聞」を読んで、中島らも氏の小説が読んでみたくなった。どの小説かの選考基準は、権威主義的だという非難は覚悟するが、何かの賞を受けたもの。本書は「吉川英治新人文学賞」を受賞したものだそうである。
ミステリー小説でもサスペンス小説でもない一般の小説なので、本来の私の趣味には合わないのだが、なぜか一機に読んでしまった。
テーマは、アルコール、あるいはアルコール依存症あるいは依存症一般なんとでも言えるが、我々が日常口にするアルコールが題材なので、麻薬や覚せい剤などより我々読者には分りやすい。
著者(の分身の主人公)は十代後半から毎日ウイスキーを一本空ける生活をしており、35歳以降の人生は考えていなかったということになっている。医者でない素人でも、毎日ウイスキー一本を空ける生活を十年以上続ければ「そらきっと死ぬわ」とわかるが、著者は生きることそれ自体に執着がない。そういういつ死ぬかわからないという刹那的な生き方に対して問題を感じていない。この辺の感覚は、「良い悪い」とは別であり、それを説明する著者の叙述は危険なほど説得的であり、つい信じ込んでしまいそうな自分が怖い。だから、夭折した少年の遺体の前で殴り合いをする主人公(=著者)と医師の場面は極めて印象的である。「生きたい、長生きしたい、そして自分の希望する人生を全うしたい」と願いながらも十代で死んでしまう少年と、「どうせいつかは死ぬんだ」と言いながら毎日酒を浴びる主人公とその対比が悲しい。作者の意図は、どちらかを肯定的に描いている訳ではないと私は思うのだが、その対比を曖昧にしてしまう恐ろしさをアルコールは持っている、という風な結論付けに持っていってしまうのは、多分、作者の本意ではないだろう。アルコール依存症を克服したというドキュメンタリー番組に出演した著者を観たが、そのときは私はこの小説は読んでいなかった。その意味では私の番組の観方は皮相だったろう。
作者は2004年に亡くなったが、亡くなり方は転倒して頭部を強打したためということだが、転倒した時点で酔っていたという話もあり、真偽の程は私にはわかりかねる。あの番組の後、アルコール依存症が再発したのだろうか(尤もアルコール依存症は不治の病だとも言われているらしい)。
アルコールに限らず我々は何かに頼らずに(換言すれば依存せずに)生きていくことはできないので、その辺りを著者は言いたかったのかなと稚拙な理解を提示する、少々遅いが著者への哀悼の意と供に。