1950年代後半、政府の政策に応じてドミニカ共和国への移民に応じた日本人らが「募集時の約束と異なる悪条件の土地を与えられ、困窮生活を余儀なくされた」として、国に国家賠償を求めていた訴訟で、東京地裁は、6月7日、原告らの請求を棄却した。国に調査義務違反の違法行為はあったが、入植から20年以上過ぎているので、民法724条後段の「除斥期間」が完成しているという理由だという(朝日新聞夕刊)。
1950年代後半、第二次大戦後の引揚者などによる人口急増に対する対策として、政府は中南米への移住推進策を取り、その際、移住先に肥沃な広い土地を無償で譲渡すると謳ったが、現地へ行ってみると全く逆で、狭い工作不適地をあてがわれしかも所有権を与えるのではなく耕作権しかないものだった、とのことである。本H・Pの書評欄で紹介した「ワイルド・ソウル」がブラジルを舞台に描いた世界である。
ここで、「除斥期間」という聞き慣れない言葉を解説しておく。
国家賠償法で準用される民法724条は、「不法行為による損害賠償の請求権は被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知ったときより3年間これを行わないときは時効によって消滅する。不法行為のときより20年を経過したとき又同じ」と規定する。
本文の「3年」が「時効」期間であるのは条文に明言してあるが、後段の「20年」は「時効」期間ではなく「除斥」期間だと解すべきだとするのが最高裁の判例である。権利の安定化を図るという趣旨だというのである。
では「時効」と「除斥」とはどう違うのか。
まず「時効」は、時効によって利益を得る者が「援用」しないと時効の効果は発生しない。「援用」とは平たく言うと「時効期間が満了しており自分は時効による権利消滅の効果を主張しますよ」という意思表示である。この「援用」がなされて初めて時効が完成する仕組みになっている。理由は、単に時の経過だけで自動的に権利が消滅するとするのは不道徳なので、その不道徳な効果を受け入れるかどうかは、時効の利益を受ける者の意思に任せる、ということなのである。
これに対して、「除斥」は援用が不要である。除斥期間経過により自動的に権利が消滅するとされ、裁判所は当事者が主張しなくても権利消滅を認定することができる。
その他に「時効」には中断があるが、「除斥」には中断が無い。「時効の中断」とは法が定めた一定の事実(例えば債務者の承認)があると、それまでの時効期間はノーカウントとなり、新たに時効期間のカウントが再開される。しかし、除斥は民法724条でいえば「不法行為」のときから20年間中断されずにカウントされる。
最高裁が本条を「除斥期間」と解したことについては、学者からの批判が強い。条文上、「時効によって消滅する。…また同じ」とあるのだから後段も「時効」とするのが素直であるという理由の他に、様々な批判があるが専門的になるので省略する。
私が参加している中国人強制連行強制労働損害賠償事件についても、福岡地裁は先日、国の責任を除斥期間経過として認めなかった。全く納得できないので控訴中である。