直木賞受賞作ということだから読み始めたのだが、この小説は芸術的評価を抜きにすると、アブナイ小説である。いわゆる近親相姦を真正面から描いているからである。私たち法律家の価値基準は、いわゆる公序良俗とか順風美俗とか世間的な常識で凝り固まっている。例えば民法は近親婚を禁じている。親子兄弟の結婚は駄目だし、たとえそれが血の繋がりのない養子関係であっても駄目なのである。だから、本書で描かれる世界は、この法律家の価値基準に真っ向から反するのだ。
本書の父と娘(養女だが)は、このタブーを真っ向から破る。手垢にまみれた表現をするなら禁断の性である。しかも最期はロリータ的性愛も出て来る。
だが、そのような世間的常識を一旦取っ払った目で見てみると、本書の語り口は読者を引き込まずにはおかない悪魔的魅力に満ちている。父と娘がどういう関係なのか、どうしてそうなったのか等がかなり歪な形で外面的に語られる。歪に外面的にという意味は、主要な登場人物の娘の方の内面は十分に語られるが、一方で父にあたる男の内面が意図的にか掘り下げられないからである(解説の北上次郎氏の指摘である)。
表題が「私の男」というのも、この歪性というか異常性を物語る。「私の父」「私の夫」「私の恋人」それらを含んだ意味にとれる。そして、描写もかなり粘着的で微細なものだから、この悪魔性が際立つ。
むりやり解説すれば、「世間でいう家族」とは何かに挑戦状を叩き付けた内容という言い方もでき、「家族」のあり方を考えさせるものと言っても良いのだが、その様な社会学的な解説が色あせる様な描写力は、やはり小説の魔力という他はないだろう。