今回、いきなり引用から始める。
「…ビックス、鳥居民といふ二人の歴史家は別々に、そしてほぼ同時に同じことを発見したのです。
それは、昭和天皇が皇太子であったときに受けた教育に、重大な欠陥があった、といふものです。そのために、言語能力の面で非常に問題のある方になつた。」
「昭和史は、昭和天皇の言語能力といふところから攻めてゆけば、かなりよくわかってくる。そのことをどうしてしないのか。単に政治経済だけを論じることが日本の国運を論じることだと思つてゐる。それでは駄目なんですよ。そんな態度だから日本の政治はあれだけひどいことになったし、経済はいまこんなひどいことになってゐる。」
更に本書の解説−竹内修司氏−からの、昭和天皇記者会見(こちらは私も知っている有名なもの)を引用しての意見。
「―天皇陛下はホワイトハウスで、『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますかおうかがいします。
天皇 そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます。
…(中略)…
昭和天皇の言語能力についての、丸谷の本書での指摘が正鵠を射たものであることを、おのずから証明するものではなかろうか。」
本文庫の表題になっている「ゴシップ的日本語論」の核であるが、言語能力がどうだったのかは本書をお読み頂きたい。少なくとも私は、常套句の目からウロコどころか、ある意味で唖然というより愕然となった。「ボギャブラリーの貧困」という形容があって、それは「思考能力や思想の質や深みの表現に問題あり」と殆ど同義に使われていると思うが、言語能力を鍛えられないで育てられた人間が国家元首であったり政治家であったりすると、どうなるか。愕然とし、更に戦慄さえ覚える。本書を手にして(著者には申し訳ないが)この章を読むだけでも十分な価値がある。
他の章は、人によっては著者のペダンチスト(というと著者からは間違いなくお叱りを受けるだろう)ぶりについて行けないかもしれないが、例によって博学多識な論(だったり雑談だったり芸談だったり)で大変面白い。