有名な古典落語代表作15話の、柳家小三治師匠による「語り下ろし」である。実際の寄席の速記録に手を入れたものらしいが、こういう場合「語り下ろし」と表現するのか。
いずれにしても私は小三治師匠のファンであるから、文字で書いてあってもその語り口・声・表情・仕草などの演技は殆ど頭の中で再現できる。小三治師匠は、お師匠さんにあたる柳屋小さん師匠の丸っこいお顔とは対照的なやや鋭角的な顔立ちをしておられるが、私の贔屓目でいうと「こちとらぁ江戸っ子でぇ、宵越しの金なんざ持つかよぉ」的な江戸っ子職人のキリリとした雰囲気は、この顔でなくちゃみたいな思い入れがある。じゃあ粋でイナセなお兄さんかといえば、さすがは落語家、実にトボケた味がある。好きだなぁ。
演題は、落語ファンなら殆どの人が一度は聴かれたことがあると思う、古典落語中の古典落語15作である。これらを名人柳家小三治がどう演ずるか、それが「見もの」いや「聞きもの」いやここでは「読みもの」になっている。
いつか「日記」か何かに書いた記憶があるが、本書でも収録されている「芝浜」のお上さんは、小さん師匠が演ずる伝統的な賢夫人的姿と立川談志師匠演ずる並みだけど旦那を愛する点で一途な姿とがあるが、小三治師匠はお師匠さんに従っているようである。語り口は想像できるが、実際に聴いた記憶はない。
「千両みかん」は故・桂志雀師匠の語りで聞いた記憶があるので、もともとは上方ネタなのかしら。番頭さんが真夏に若旦那のために1個千両で買い求めた「みかん」を3袋だけ持ち逃げするに至る志雀師匠の表情はホントに笑えた。志雀師匠のも笑えたが、小三治師匠も笑えそうだ。
本書の演目の中で私が実際に小三治師匠の噺で聴いた記憶があって、とても好きなのは「野ざらし」である。野ざらしの髑髏に功徳を垂れた結果、その髑髏の美人の幽霊が尋ねてきたという燐家のご隠居さんの話を当て込んで、自分もあやかろうと真似をする八っつぁんの話である。自分勝手な空想の世界にのめり込む八っつぁんと、それをあきれながらも面白がってみている釣り人の絶妙の間がホントに(江戸っ子的に言えば「フンとに」)笑える。
でも、やっぱDVDを買って来よう。地下鉄の中で目で追う分には文庫本もいいが、やはり声・表情・仕草をみなくちゃな。