これらの著書は2冊とも抜群に面白い。「国家の罠」は毎日出版文化賞特別賞、「自壊する帝国」は新潮ドキュメント賞・大宅壮一賞を受賞したのだそうである。受賞には十分に納得する。
まず書店で,ソ連の崩壊過程をルポするという「自壊する帝国」を見かけた。
我々の年代前後より上の人間は、「ソ連」という国家(厳密には「共和国連邦」)は所与の前提だった。我々が生まれたときから「ソ連」は存在し我々が死ぬ時まで存続するだろうことを全く疑わなかった、いま丁度アメリカ合衆国が消滅するとは誰も予想しないように。だから米ソの冷戦構造という世界の枠組みが、ソ連の崩壊で消滅する(いわゆるアメリカの一人勝ち)等とは全く頭の片隅にも浮かばなかった。昔読んだスパイ小説でソ連の崩壊を織り込んだプロットで展開していたストーリー(題名も著者も忘れた)があったのだが、飽くまでフィクションだと思っていた。ところが現実になったのである。
この世界史的出来事の同時代を生きる人間として、当時はマスコミ報道を追うだけだったが、いつか歴史的評価が定まったらソ連崩壊のルポを読んでみようと思いながら、中々食指の動く本が見当たらなかった。書店で本書を見かけたとき何となく惹かれるものがあったので買い求めたところ、殆ど一気に読めるくらい面白かった。ロシア文学を読んでいる気分である。もちろん登場人物の名前がロシア文学特有の「…ノフ」だの「…ビッチ」だのの人名で語られることもあるのだが、登場人物の印象それ自体がロシア文学なのである。著者と交渉があったロシア人との思い出を書いているのだから当たり前なのだが、高校の頃ドストエフスキーに「噛まれた」(早大露文科ではこう表現したと後年五木寛之氏のエッセイで知った)当時の記憶が蘇った。それだけ人物描写が生き生きしているのである。というより、実在の人物だから生き生きしているのは当たり前なのだが、それを表現する筆力は驚嘆に値する。
「崩壊する帝国」を読み終わって、どうしても前著が読みたくなった。外務省の不祥事や鈴木宗雄元国会議員(現職?)なんて一般国民である私には全く興味がなかったので読む順番は逆になったが、この「国家の罠」自体も抜群に面白い。特に、こちらの著書では検察の取調べが出てくるので、私が日ごろ接している検面調書の任意性・信用性という辺りにも著者の考究が及んで随分参考になった。私は九州の田舎弁護士だから国策捜査の被告人(被害者?)となった方の弁護人になる可能性は極めて低いが、それでも検察庁の姿勢というものは十分参考になる。ただ、著者の分析(すなわちケインズ型公平配分政策からハイエク型傾斜配分、新自由主義への国策転換の犠牲者が、鈴木議員と著者)とは必ずしも同意できないが、この様な時代の流れ自体は十分納得する。寅さん風に「それを言っちゃぁお終いよ」を、最後っ屁風に言うと、その元凶は小泉元総理であるとしか思えない。著者の本を最初から最後まで読んで、「国策捜査」の推進者は誰かと言えば「国策」の推進者しかいないのである。それが誰か自明であろう。
もし著者の指摘が全て正しいのであれば、どうして小泉元総理の捜査に対する責任を追及する政治家が出て来ないのであろうか。少なくとも小泉元総理を弾劾して不利益を科されることのない(というか既に不利益状態にあるからこれ以上悪くならない)政党なら出来る筈である。
著書それ自体としては十分に面白いと認めながら、日本の政治情勢には私は不安を感じざるを得ない。
<追記>5月3日
4月23日号の「AERA」(朝日新聞発行の週刊誌)に「佐藤勝の『罠』」という記事があって、これと本書を読み比べるのも一興だろう。