1月23日、東京地裁で、昨年12月1日から施行された犯罪被害者等が刑事裁判に参加する制度が実施された(朝日新聞朝刊)。
以前の刑事裁判では、被害者もしくは被害者の遺族は証人として証言するか傍聴席から傍聴することが出来るだけだった(意見陳述は比較的最近から出来るようになっていたが)。しかし、昨年12月1日から一定の重罪に限っては、被害者または被害者の一定範囲の遺族が、刑事裁判に直接参加できるようになった。
具体的には、その被害者または遺族が、直接、証人尋問をする、或いは被告人質問をする、更に弁論として意見陳述(例えば求刑意見)ができるのである。ただ、本来の刑事裁判では、起訴するかどうか起訴したあと刑事裁判上どう裁判を進めるかは検察官と裁判所・被告人が決めることであるという原則は変わらないので、被害者側は検察官の権限を侵害しない範囲で検察側に参加することになっている。
刑事裁判では、被害者が蚊帳の外に置かれたまま進められるとの批判が被害者側にあったが、それがこの様な形で反映された。被害者の怒りや無念の気持ちを裁判手続き内でも直接的に考慮されるようになったということが出来る。特に被害者参加が認められる犯罪の種類と裁判員裁判が行なわれる犯罪の種類が重なる部分が多いので、一般市民(裁判員)への影響は大きいと思われる。
刑罰をどう考えるかという面では大きく分けて二つの立場がある。応報刑主義と教育刑主義である。応報刑主義とは、犯した犯罪に見合う害悪(生命・身体の自由・財産への侵害)を応報として与えるのが刑罰であり、いわゆる目には目を歯には歯をの考え方で、古来から現代にまで根強く続いている考え方である。教育刑主義とは、犯罪者が二度と同じ過ちを繰り返さないよう更生のために科すのが刑罰であるという考え方である。死刑を存置する以上、現行法は応報刑の立場に立っているとも見られるが、刑罰の幅が広い点では教育刑の考え方も見られる。実際の刑の執行については仮釈放も認められているので教育刑的観点が含まれていると見られる。現行法体系は刑罰について折衷的立場ということができよう。
被害者参加がこの両主義においてどの様な機能を果たすのか、被告人を非難・弾劾して応報刑的な傾向を示すのか、被告人の反省を促して教育刑的な傾向を示すのか、判断は難しい。