7月15日、福岡地裁は、業務上過失致死罪に問われた歯科医に無罪判決を言い渡した。判決理由は因果関係が認められないからだ、とのことである(朝日新聞7月15日夕刊)。
判決文を読んでいないので正確なことは言えないが、記事の書き方として、違法行為と死の結果について「因果関係認めず」(記事の見出し)ではなくて「認めるには疑問が残る」(記事の本文)という引用の方が多分判決文の引用としては正確だろうと思われる。刑事裁判では「合理的な疑いを入れない」程度に犯罪を立証しなければ有罪とされない。この事案では、因果関係があったかも知れないし無かったかも知れないという程度の立証しかない、と裁判所は判断したのだろう。
業務上過失致死罪で有罪とされるためには、大まかな項目として、主体が「業務者」であること、行為が「過失行為」(落ち度のある行為)であること、他人の死の結果が生じていること、行為と死の結果との間に因果関係があること、が立証されなければならない。これらの項目を詳細に解説して行ったら一冊の本が必要となるので、因果関係についてだけ簡単に説明する。
因果関係とは、日常用語でも使うし哲学や科学でも重要な概念である。日常用語では、原「因」から結「果」が生じる関係と理解されており、刑法上も概ねそれで間違いはないが、刑法の勉強で初めの頃にビックリさせられる学説の対立がある。あれなければこれなしという条件関係があれば刑法上の因果関係があるとする「条件説」という古い学説をまず紹介される。しかし、これで行くと例えば風が吹けば桶屋が儲かる式の事実の連鎖を刑法上の因果関係の枠に切り取れないではないか、という批判が出る。例えば、殺人の被害者の親族が悲しみの余り自殺した場合に、殺人行為がなければ自殺行為もなかったから殺人犯は二人の死に対して刑法上の殺人罪の責任を問われる、ということになりかねない。それでは不当なので、条件説は「因果関係の中断」「因果関係の断絶」とか色んな説明道具を編み出して結果の妥当性を得ようとするが、これも無理があって、結局、学説上は「相当因果関係説」が通説となっている。この学説は「社会通念」(要するに「社会常識」と思えばよい)に従って、その行為によればそういう結果が生じることが社会通念上相当である、と思われる場合に因果関係を認める、というものである。実は、この「相当因果関係説」の中にも主観説・客観説・折衷説というのが分岐している。ここら辺りの学説状況は面白いと言えば面白いのだが、実務家になってみると、因果関係の学説でどの立場を採るかによって有罪・無罪が変わるという事例には滅多に出くわさない。
この事案も学説の対立状況の結果、無罪になったというのではないようである。