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2010.02.05(金)

自分自身への審問

辺見庸

脳内出血で右半身不随となり、さらに癌にも罹患した著者のエッセイ集である。しかし、エッセイというお気楽な呼び方は不適切で、寧ろ遺書に近いといっても過言ではない。

自らを「人の形骸」と呼び、自死への抑えがたい衝動を病床で書き連ね、読み進めるのは辛い。しかし、著者の境遇へ至ることは、今は健康人である人でさえ明日のことかも知れないのである。では、同じ境遇に立ち至ったからといって、私が著者と同等の思索にまで至れるかというととてもそんなことは出来ないと思う。自らへの仮借なき審問を殆ど死と隣り合わせの病床で書き連ねる著者の姿勢は、平穏な日常を生きる我々を慄然とさせる。

著者を襲った病魔は重篤で、通常の人ならその苦痛・懊悩で打ちひしがれ或いは打ちひしがれないまでも個人的な病魔との闘いに呻吟するであろうのに、著者は仮借なき内省と併せて社会への目も研ぎ澄ます。

「日米安保条約を改定した故岸信介首相でさえ『自衛隊が日本の領域外に出て行動することは一切許せません』と明言しているのに、イラク派遣を積極推進し、その論拠をあろうことか憲法前文に求めていく。『国家としての意思』『日本国民の精神』が問われているとまで(小泉)首相が言いつのる。哀しむと哀しまざるとにかかわらず、これが戦後六十年の日本の自画像である。戦後の卒業どころか、終戦から時を経るごとに『新たな戦前』が近づいている趣さえある。安易な戦後の解消を目論めば目論むほど、逆に戦後の呪縛に深くはまっていくというパラドックスがここにある。

 私たちは果たしてどこに行こうとしてるのだろう。」

娘を自殺で失った父親の苦悩にまで思いを致しながら、自己を他者を社会を凝視し告発し続ける著者の眼光に、私としては恥じ入らざるを得ない。


辺見庸<br />角川文庫
角川文庫
514円+税