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2005.05.26(木)

教養としての〈まんが・アニメ〉

大塚英志+ササキバラ・ゴウ

本「書評」欄については、5月26日の日記をご参照ください。

マンガ家志望だったことを自己紹介欄で告白した流れで、書評第1回はこの本にする。

「欧米人は、日本に来ていい年した大人が電車でマンガ雑誌に夢中になっているのに驚く、外国ではコミックは子供向けの幼稚(低級)な読み物とされているからだ」としたり顔の日本人の利いた風な嘆きに対して、「そういう外国人には『君らの国は手塚治虫を生まなかったからだ』と教えてやれ」という文章を読んだことがある。

実際、コミックを含めた日本のサブカルチャーは既に随分以前からアジアでは人気があったし最近では「COOL(カッコいい)」と欧米の子供のみならず若者ないし「いい大人」にマニアックな人気を博しつつあるそうで(実はその世代は日本からの輸入アニメで育った世代でもある)、遂には宮崎駿先生がアニメ部門のアカデミー賞を取り、また日本のホラー映画のハリウッドリメイク版が大きな人気を呼ぶ等は、その源流は楳図かずお先生の恐怖漫画(私など思い出すだけで鳥肌が立つ)にあるのかも知れず、その更に源流には我らが手塚治虫先生が鎮座ましましている筈なのだ。ストーリーマンガを大人の鑑賞に耐えるカルチャーに生み且つ育て上げた第一人者に手塚先生を挙げることに異論を挟む者はいまい。

だから今更マンガを何も「教養」になど持ち上げる必要はない。今頃いわゆる教養主義のお題目に加えて貰わなくても十分文化的価値ないしステイタスは既に獲得している筈だから(もちろん今でもマンガに無理解な「教養人」は山のようにいるが、そんな文化的ステイタスなんか端から頭にないところがマンガのカッコいいところ)、この本のタイトルだけ見たときには何を今更という思いで書店の書棚から手にとってみた。ただ目次をザッと見たところ、私が余り読まなかった(といっても最近では最早古典の地位を獲得しつつあるらしい)漫画家やアニメ監督に対する考察がなされていて、読んでみることにした。

そしたら、今頃教養に高めるなんて時代遅れの作業をやっているのでは全然なくて(そういう目で見る私自身が既に時代遅れ)、最早描き手の中でも多数派となりかけている、手塚治虫先生やその後継者らを知らない世代に教え引き継ぐ、そういう意味の「教養」をつけてやるのが本書の目的なのだそうだ。

作品の解題とか解説を年代順に行う文学全集的なやり方ではなくて、幾つかの作品に現れるその作家を貫く姿勢・個性から時代背景まで含めて読み解く内容は、私には大変に新鮮だった(多分構造主義的批評とかいうのではないかと哲学音痴の私は的外れに想像してみる)。

手塚先生のマンガで、デフォルメされた記号的な絵の中に写実的な絵が進入する構図に当時の戦争という現実・時代の侵入を読む辺り、些か図式的と思わないでもないが確かに説得力に富む。

しかし、私が一番感心したのは、手塚治虫解説から梶原一騎解説へ移った中で、「言うなれば星飛雄馬はアトムの生まれ変わりであったのです」という一文で表される、梶原先生が手塚先生の忠実な承継者だと論証する章である(多分知らない人はいないと思うが念のために注釈すると、鉄腕アトムは手塚治虫原作の名作マンガ・アニメの主人公で、星飛雄馬は梶原一騎原作川崎のぼる絵で一世を風靡した大人気劇画「巨人の星」の主人公)。あの如何にも泥臭い梶原先生(川崎先生の絵も)がどうしてバタ臭いスマートな手塚先生と繋がるのか、読み進めると成る程と思わせてしまう。

私が一時期のめり込んだ萩尾望都先生などそれぞれの作家論はそれなりに面白いが、やはり手塚先生論と梶原先生論とその繋がり、そしてある意味では手塚先生以上に天才的だった石森章太郎先生の論(後年は「石ノ森」と称していたが私にはやはり「石森」である)が出色だと思う。

マニア向けの本というよりマンガをよく知らなくても(サブ)カルチャー論として十分読むに値する本だと思うので、第一回目の推薦図書。


大塚英志+ササキバラ・ゴウ<br />講談社現代新書 
講談社現代新書 
720円 
2004年4月9日第5刷発行
読了2005年4月20日