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2005.10.10(月)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

米原万里

これは出色のノンフィクションである。

内容は、著者の実体験を綴ったものであるが、著者の知性・筆力・実体験時の年齢(13歳前後)・当時の世界史的な年代(1960年代前半)・著者が実体験時にいた地政学的位置(当時のチェスロバキア首都プラハ)・そしてその後の本書執筆当時の世界情勢(ソ連・東欧の崩壊後の2001年)等など、その他諸々が奇跡的なタイミングの融合をみて初めて書かれることが出来た、(少々大げさな表現をすれば)奇跡的な一冊だと思う。

著者は、父君(日本共産党の理論家だったのだそうである)が国際共産主義運動の理論誌と当時位置付けられていた「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集局があったプラハに派遣されていたのに随行して、1960年から64年まで即ち著者が10歳から14歳までプラハ・ソビエト学校で学ばれたのだそうである。

そして、そのときに同級生であったギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンスカという3人の女子生徒の当時と、ソ連・東欧崩壊を経た30年後の生活を、著者自身の実体験を素に描き出したものである。

それぞれの同級生との少女時代の交流の明るい瑞々しさは、ある種の普遍性があり男性である私でも何か懐かしさを感じる。そして、そうであればこそ30年後の再会の持つ意味が切々と胸を打つ。推理小説ではないので、別に少女たちが30年後にどんな姿になっているのか種明かしをしても悪くはなかろうが、それでも読み進む上での好奇心を奪いたくないので書かないことにする。ただ、この間のソ連・東欧の社会主義政権の崩壊という世界史的な出来事が、いかに個人の生活の中で反映しているのかの具体例を見事に描き出していることだけは書いておこう。

更に付け加えるならば、少女同士の会話、その時々の気持ちの揺れ、30年間の歴史を概観するときのまとめ方、とにかく著者の達意の文章には感服する。著者の経験は日本人としては確かに極めて珍しいものであり、そのことだけで十分書く値するだろうが、実はどう表現するかどう文章にするかという局面では単に珍しい体験を報告する凡百のエッセイになる危険も常にあった筈である。しかし、本書は題材もさることながら、読者の胸を打つ著者の文章自体が私は素晴らしいと感じた。

繰り返す。これは出色のノンフィクションである。


米原万里<br />角川文庫
角川文庫
522円+税