なぜ今ゲバラなのかと問われれば、正直、答えに窮する。多分、我々の世代、正確に言えば我々のもう一つ前の世代すなわち「団塊の世代」にとってゲバラはある層の英雄だった。キューバ革命を成功させ、更にボリビア革命を夢見てゲリラ戦に身を投じて落命したのだから。で、だからその人物像に興味があったということになろうか(尤も学生時代にゲバラの肖像をプリントしたTシャツをこれ見よがしに着ている奴を見ると、根性なしの癖にケッと思って唾を吐く感じだったのが正直なところ)。
現在のカストロ議長と並んでキューバ革命の立役者の一人であり、その気になれば社会主義国キューバの閣僚としてデスクワークに勤しむ人生もあり得た筈なのに、ゲバラは命がけの白兵戦・ゲリラ戦に身を投じた。そこまで人間を駆り立てるものは何なのか知りたいというのが本書を手にした動機。ただ、残念ながら本書では私の動機は余り満足されないし、決して読み易い本ではない。日記だから外部に公表されることを念頭には置いていないのだろうと推測はするが、それを前提に、その動機を窺い知る記述があるとすれば「…我々は、人類の中で最も崇高な部類の人間である革命家になる好機を与えられており、また人間として完璧な形で開花するのを許されている。(1967年8月8日の日記)」という辺りか。
実際、山岳ゲリラとして行軍する中で、野生動物の狩りや農民との売買その他の活動で動物や植物を食料としながらも(日記には毎日食糧事情が記述されている)、合間あいまに政府軍との戦闘の記述が出て来る。
ある意味「平和ボケ」した私からすれば、何故そこまでやるのか?といえばいえるし、問えば問える。しかも、ゲバラは喘息の持病を持ち治療薬の補給も十分ない状態なのだ。
何でそこまでやるのか、何で喘息という苦しい持病を押してまでやるのか、何で野生動物を捕獲する様な原始的な生活をしてまでやるのか、何で仲間内の食料争いなんて低次元の争いを仲裁しながらやるのか。色々疑問はあるのだが、それでもゲバラはやる、というか、やった。日本的表現ならやはり「義のために死す」ということなのか。
全く低次元の話だが、私が学生時代の30年以上前、ゲバラの肖像のTシャツの定番は、ゲバラがベレー帽の様な戦闘帽を被っている肖像だったのだが、本書の写真集を見ると、ゲバラは頭頂部が禿げている。だからゲバラの人格がどう、ということには全くならないし、そんなことを考えること自体が低劣で間違っているのだが、ただ30年来の思い込みがひっくり返ってビックリしたので一言付言して置く次第。