いわゆる犯人探しやトリック解明の推理小説ではない。真犯人を含め事件の謎は徐々に明かされるが、それがこの小説のテーマではないからだ。実際、真犯人が明らかにされるのは本書の4分の3辺りで、その後も長い物語が続き、その展開も本書の重要なある意味最重要な部分をなす。寧ろ広義の犯罪小説といった方が適切か。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」もその意味では広義の犯罪小説だった。
一つの殺人事件を中心に、被害者・加害者・親族・友人のそれぞれの人間模様が語られる。
殺人というおぞましい犯罪の契機、それから始まる様々な波紋。特に本書は、事件の切っ掛けやその後の展開にいわゆる「出会い系サイト」が大きな役割を果たしているので、それを一つの例とする現代性と、登場人物が世代によって描き分けられ特に若い世代の特徴的な現代性が見られる。他方で戦中世代、団塊世代への目配りも怠らない。
舞台は、福岡・佐賀・長崎という九州北西部三県で、それぞれの地域性も描き分けられる。中でも福岡市はある意味で退廃渦巻く都会とされ、その様な退廃的な欲望を受け入れるチャンネルの少ない佐賀・長崎(長崎市は少し別になっている)を、高速自動車道が連結して距離をなくすことで、言わば軋みが複雑となる。この描き分けも見事である。
舞台は私の住む福岡県と佐賀・長崎の九州北西三県なので、私にとって殆どの舞台は想像ではなく実在の姿がイメージできる。ただ、フィクションのゴジラが実在の福岡ドームを壊すのを楽しむという雰囲気に浸れる世界ではない。相当、深刻なのだ。まぁ暗いといってもよい。
朝日新聞に連載時代からこの小説のことは気にはなっていたが、私はニュースは出来るだけ丹念に追うが、新聞小説を読む習慣はない。ところが先日、ある人に薦められて読む気になり本書を年末年始に読んでみた。正直、年の初めに読むには些か重いが、現代日本と人間を見事に描いた重厚な作品であることは間違いなく、充実した時間を過ごせた。私もお薦めする。