経営コンサルタントの波頭亮氏と脳科学者の茂木健一郎氏という異色の組み合わせの対談である。文系と理系あるいは経済活動と脳機能という対比でかなり期待したのだが、どちらかと言えばお二人意気投合といった感じで、異業種の対比がスリリングに展開するという私の期待は少し外れた。
ただ、内容自体は概ね同感できるものだった。金儲け一色のモノカルチャー的な現代日本に対する怒りがお二人に共通する。
茂木氏が指摘する、平均値に引きずりおろす「ピアプレッシャー」の横行は、なるほどそうなのかなという気もする。ピアプレッシャーとはピア=同輩、プレッシャー=圧力で、突出しようとするもの、ハイレベルなものを全て平均値にまで落そうとする圧力なのだそうである。よく日本社会では「出る杭は打たれる」などというが、同様の指摘である。何でもわかりやすく説明しようとするのも同じ圧力なのだそうである。ま、確かにそうで、解りにくさ難解さ=高尚という図式に私も何かしら憧れを抱いている世代だが、解りにくさがある種のインテリや専門家の隠れ蓑に使われて来たという現実も同時に指摘せざるを得ない。その隠れ蓑を引っ剥がす努力が解りやすさの追求と言えないこともないので、一概には否定できないだろう。
お二人に概ね共感はするのだが、格差について「好きなことしてても贅沢さえ言わなければ食えるよ。現に自分たちがそうだもの」という辺りの対談になると、些か抵抗を感じる。お二人が努力の人であることは間違いないだろうが、努力が結実する才能も持っておられるから現在のお立場がある訳で(例えば自費出版でなく本も出版できる訳で)、世の中にはそういう人ばかりではないのである。働いても働いても食えないいわゆるワーキングプアなる層がいる。地下街などでホームレスの人たちを見かけると、気楽でいいなぁと以前思った記憶が時々甦り、なんと俺は傲慢な男だったのか今は思う。ホームレスの人たちの生活は浮世の義理に縛られず気楽かもしれないが、野垂れ死にと紙一重の生活である。経済至上主義は間違いではあるにせよ、食えない人を作り出さないための努力はやはり必要な筈だ。その意味のみんなが食えるようにする経済政策・社会政策的な努力はやはり継続しなければならない。本書は経済論議ではなくて文化論ないし文明論なので、そういう話にはならないのだが、若干お二人が高踏的に見えるのが気にはなった、それこそピアプレッシャーをかけていることになるのかもしれないが。