矢作氏の作品としては三島由紀夫賞受賞作「ららら科學の子」を初めて読んでいたく感銘を受け、本書評欄で取り上げた(2006年10月20日)。同書の登場人物の造形にはそれぞれ実に存在感があり、登場人物それぞれの人物論を書きたくなってしまう位だった。本書でもそれは変わらない。
ただ、私は矢作氏が実はいわゆるハードボイルド作家として登場されたのを読んで矢作氏「入門」を果たしたのではなかったので、本書で同氏の「実像」を初めて知ることになった(尤もこの「ロング・グッドバイ」が二村刑事シリーズ3作目とのこと)。
もちろん「ロング・グッドバイ」(THE WRONG GOODBYE)という本書の標題は、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」(THE LONG GOODBYE−村上春樹氏の最新訳について−2007年3月30日)を意識したものに間違いないから、同氏のチャンドラーへの思い入れを作品に具現化したものとは言えるだろう。
チャンドラーの最初の清水俊二氏の訳が一人称を「俺」と訳さず「私」と訳したのだろうと私は想像しているが、多分それが日本のハードボイルド小説の一流派を傾向付けたのではないかというのが私の素人考えである。その傾向とは、本書の主人公が典型であるが、犯罪と暴力にまみれながら、主人公が「知的」で「批判精神」なりを備え、ときに「叙情的」でも「シニック」でもあるという造形である。本書の主人公である二村永爾は神奈川県警の刑事で、東京六大学で野球をやりキャッチャーだったがプロにはなれず、しかし、英語は堪能だということが問わず語りに語られる。そして、洒落た会話の妙もさることながら、時折もらす感想なり叙情なりが、ハードボイルド小説の定石を踏んでいて、泣かせるのだ、キザ極まりないとも言えるが。
「彼は飛行機のドアに手を掛け、引きずり出すようにしてそこを開けた。ドアはタラップに変身して倒れてきた。
『シンシア(甲能注−飛行機の名)だよ。こいつのために苦労してるんだ』彼はタラップに足をかけ、言った。
『耳をすましていろよ。ぼくを忘れそうになったら、彼女の歌声を思い出すんだ』
その爆音をたっぷり聞かせた後、ビリーは彼女と飛び立った。
私の頭上を二回旋回して、主翼の航空灯を三回振り、シンシアの姿は夜空の片隅にかき消えた。
帰り道、やたらと赤信号に阻まれた。まるで誰かが私に後悔をせまっているみたいだった。」
ストーリーは推理小説だから勿論ここでは書かないが、語られる背景が完全なフィクションではなく事実に依拠している部分があれば、その事実は大きな社会問題だと思う。