マイルス・デイヴィスとは、言わずと知れたモダン・ジャズの巨人である。「帝王」と呼ばれる。ジャズを知らなくても、前屈みでトランペットを吹く黒人ミュージシャンの写真を見ればわかる人も多いに違いない。
私にジャズがわかるというつもりはない。ただ昔ジャズがわかるようになろうと努力した時期はある。単にカッコいいと思ったからである(もっと言うと田舎者コンプレックスのために都会的な音楽に憧れた面が強い)。CDやテープを結構な量仕入れたのだけれど、趣味とするまでには至らなかった。結局カッコだけに憧れて、真に音に惚れたり体が知らずに反応したりという感覚は湧いて来ず、何か勉強するという感じになってしまい、いつしか聞かなくなったのである。
では、何故この本を買ったのかというと、著者の一人が平野啓一郎氏という芥川賞作家であることで、彼が音楽を文字でどう表現するかに興味があったからである。ちなみに、私に似合わないことを承知でカッコつけると、「全ての芸術は音楽を志向する(ショウペンハウエル)」。
しかし、読んで行くと音楽そのものを文字で表現しようとした箇所は殆どなく、やはり評論を目的にしたようで、文学者が音楽という異種の媒体をどう活字に載せるかという私の期待は完全に的はずれだった。ただ、そういう箇所が全くなくはない。
「三八分間にわたるノンストップのメドレーの中で、彼は実際、じっと周囲の演奏に耳を澄まし、距離を取り、罠を仕掛けながら、何時、決定的な一音を放ち得るかをラウンドを重ねるボクサーのように探っている。そして、終盤に差しかかって昂揚する演奏は、相手をコーナーに追いつめたシュガー・レイが、右でテンプルを打ち、左でボディを打ってパンチを散らしながら一瞬の隙を射抜くようにフィニッシュ・ブロウの左フックを打ち込む光景を彷彿させる。」
音の出ない活字に音を感じさせようとすれば、やはり比喩を多用せざるを得ないのだろう。
本書は、上記引用箇所に出てくるシュガー・レイという伝説的なボクサーを始め、マイルスに影響を与えた人物あるいは与えられた人物の21人(多くはもちろんミュージシャン)について描くことで、逆にマイルス像を浮かび上がらせようとする構成を取る。そういう意味でも通常の評伝とは異なるので、お勧めする次第であるが、出てくるミュージシャン達の音楽を全く知らなければ退屈かも知れない。